NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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第31回 五木寛之著「下山の思想」 シリーズ(2)

「柴山潟周回廊計画」進行

 「 I  Love加賀ネット インターネットラジオ局」 只今計画準備中! 

 

  

夕陽の思考

 

戦後50年ほど登りが続き、頂上に10年程度留まったものの、現在は下りの最中との認識を示しています。老いは、夕陽の美しさであり、そこにもまた、豊かな完熟期としての素晴らしさがあります。

 

国の歴史も同じ。明治維新から150年、日本は老年期に達しようとしています。だからこそ、今後はこの高齢の豊かさを意識しなければならない。

 

 

2012年2月5日NHKスペシャルをご覧になった方もおられると思いますが、

 

「天空の棚田に生きる」~秘境 雲南~

 

中国雲南省の山岳地帯に驚きの風景がある。険しい山肌に延々と連なる無数の水田。何万本もの畦の曲線が網の目のように重なり、稲穂の絨毯が波打つ。

 

「紅河ハニ棚田」総面積5万4千ヘクタール、国連食糧農業機関が世界農業遺産に認定した「世界最大の棚田」標高1800メートルまで切り開いた天空の棚田。

 

世界一の棚田を、1300年間かけて築き上げてきたのは、少数民族ハニ族の人々で奥深いこの地に辿りついた。気の遠くなるような労力で山肌を耕し、今日を生き抜いている。

そこには近代的技術や通信技術や金融経済などは必要としない歴史や生活がある。チベット文化や自然と対峙する歴史の息遣いが感じてなりません。

 

成長神話が崩壊し始めている世界の中で、むしろ、最も人間らしく生きているのではないでしょうか。ブータン国の幸福度は、生きるための幸福度であり、その土地の歴史、文化の中で育み、継承されているのではないだろうか。

 

気になるのは、子供たちや青年、そして30歳代~60歳代の働き盛りの人たちのことです。

 

下山の思想の中で高齢者たちの今後の生き方は理解できても、それを支える人たちに負担をかけることは許されないのではないか、と思っている。

 

 

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         柴山潟や白山、そして自然に恵まれた環境の中で、歴史や文化、教育を

         次世代の人たちに継承していってもらいたいと思っている。

         だからこそ、少しづつでも継続して、労力を惜しまない計画と実践が必要

         不可欠なことだと思っている。       -次回最終回・2月28日(火)掲載-

     

 

~白山を彼方に仰ぎ見ながら少女たちが憩う~

2010年5月石川県能美市寺井町(茶わんまつり)で

(写真 : I Love加賀ネット)

 

 2012年2月21日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第30回 五木寛之著「下山の思想」 シリーズ(1)

  「柴山潟周回廊計画」進行

 「 I  Love加賀ネット インターネットラジオ局」 只今計画準備中!

  

 

五木寛之著「下山の思想」20万部突破のベストセラーになっている

 

「下山の思想」は歴史を振り返ると、明治維新から第二次世界大戦までの富国強兵の時代が挫折し、そして蘇るのは、戦後の高度成長時代。

登山の頂上を目指し、日本国、日本人の意識が頂上に向かっていた。昭和39年(1964年)に東京オリンピック、昭和45年(1970年)大阪万博とまさに右肩上がりの経済成長期を迎えた。

 

昭和の良き時代を終え、平成に入った頃から経済に陰りが見え始め、バブル崩壊。平成経済20年史(紺屋典子著)でも書かれているように、バブル崩壊の後にデフレ経済に嵌まり、今もデフレスパイラルから抜け出すことが出来ない。

そして追い打ちをかけるように、リーマンショック。更に米国ドル安、ギリシャ危機が発端となった欧州ユーロー危機と世界が閉塞感に苛まれているのが現在である。

 

資本主義経済の崩壊が迫る中で、日本国も日本人も頂上を目指し頑張ることが、人生で本当に幸福であるのだろうかという疑問を感じる時代になっているのではないかと。

 

社会保障一体改革と増税、不安定な政権、円高による企業の為替差損、製造業の海外への脱出と空洞化、TTP問題など、数えきれないほどの不安定要因がリンクしています。社会不安の中で自殺者が毎年3万人以上いる事実に心の空洞化も増えています。

こうした八方塞がりの現代社会の中で、このまま頂上を目指し、登っていくことが本当に幸福なのだろうかという私達への問いかけであります。

 

少子高齢化に入り、団塊の世代の定年退職者が2012年から始まる所謂2012年問題がこの先10年間くらいは続きます。この対策もなされていないのが現実です。65歳定年延長などといっていますが、困難な状況だと思います。

 

高度成長時代に日本や企業の為に身を粉にして働いた企業戦士たちは気づいているのです。頂上を目指した登山をやめ、「下山」を始める時であることを。

登山では足元しか見えないが、下山はゆっくりと余裕を持って、高山植物や周りの風景を見ながら降りはじめていく心の豊かさと体感を感じながら、無理をしない、身の丈に合った降り方をしていくことの大切さを。

 

 

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【柴山潟から仰ぐ 日本三名山のひとつ信仰の山「白山」】

標 高 

 御前峰  <ごぜんがみね>     2,702m

  白山室堂<はくさんむろどう> 2,450m 

(写真: I   Love加賀ネット)

 

 

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      当、NPO法人I Love 加賀ネットの基本的理念にも則した「下山の思想」は

       当会の方向性を見出してくれているようです。-次回・2月21日(火)掲載- 

                                                      2012年2月17日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

第29回 「花菜」の出荷最盛期 

柴山潟〝桜〟周回廊計画」進行

 「 I  Love加賀ネット インターネットラジオ局」計画準備中

 

 

京野菜の春を告げる「花菜」が最盛期を迎えている

 

「花菜」古くから伏見桃山付近で切花用として栽培されていた寒咲きなたねの蕾を約40年前に食用したのが始まりです。「花菜」の名前の通り、花菜のからし和えは、春を予感させる旬の味です。

 

           

                     

                    【写真・資料提供】 

社団法人京のふるさと産品協会「さいさい京野菜倶楽部」

 

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2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」でした

 

 

司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きだったそうです。司馬遼太郎記念館が中心となり、「街に菜の花を咲かせよう 2.12菜の花忌」運動の活動をしております。

 

 

司馬遼太郎記念館は東大阪市にあります

 

 

近鉄、河内小阪駅徒歩12分、八戸ノ里駅徒歩8分の所にあります。司馬遼太郎記念館を中心としてこの二駅の街角に、多くの人達が参加して1800のプランターに菜の花で彩られているようです。

 

司馬遼太郎著「菜の花の沖」―高田屋嘉兵衛― については、第21回加賀・橋立と北前船でふれましたが、まさにタイトルの「菜の花」のイメージがかぶさってきます。

 

            与謝蕪村の有名な俳句に

              

                                            「菜の花や 月は東に 日は西に」

                                                 

                                           「菜の花や 鯨もよらず 海暮れぬ」   

 

 

✿             ✿            ✿

 

 

柴  山  潟  周  回  を  桜〟  の  回  廊  に  !

 

~NPO法人I Love加賀ネットの想い~

 

2月初旬から「桜の木オーナー募集」を始めました。当会、会員の皆様を第一期植樹の中心としておりますが、会員外の方からの申し込みもあります。3月初旬まで受け付けておりますので、ご支援賜りますようお願い申し上げます。

 

 

2012年2月14日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第28回 あんパンの話

     「柴山潟周回廊計画」進行 

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小学生の頃の通学路に和菓子製造の天河屋がありました

 

 

片山津小学校からの帰り道に天河屋の工場を覗くと、餡子を混ぜる機械が回っていて、興味深く見ておりました。それより、時々熱い餡子が飛んできて、顔に着いたりして、それを舐めると何んと甘かったことを思い出します。甘いものが少なかった時代とはいえ、今更ながら恥ずかしい思いも致します (当時の場所には工場はないのでしょうが)。

 

私は和菓子、鯛焼き、御座候(大判焼き)、金つば、羊羹、あんパンが大好きであります。というよりも、甘党で餡子が大好きなのです。寧ろケーキは苦手の方であります。

 

 

 

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田中角栄元首相も、あんパンが大好きでした

昭和47年秋、北京で日中国回復交渉をめぐって、当時の田中角栄首相が釣魚台迎賓館の部屋に入った時、室内には首相の好物のあんパンが用意されていた。朝食の味噌汁には、故郷・新潟の味噌が使ってあった。中国の気遣いには驚いたものの同行した大平正芳外相に「凄い国に来たな。交渉は命がけだ」と語った。 (産経新聞「産経抄」より)

 

昭和の偉大な生物学者・南方熊楠もあんパン大好な人でした。

チョコレートや饅頭やあんパンも大好物。特にあんパンは常備食で、本を読んだり、書き物をしたりする離れで徹夜するとき、決まって用意するのは「アンパン6つ」だったそうだ。 (食の研究所より)

 

坪内教授は、あんパン大好きな方ですが、甘納豆も好きな方です。

坪内稔典著(俳人、佛教大学文学部教授)「季語集」あんパンのページの書き出しは、

「ほぼ毎朝、あんパンを一個か二個食べる。あんパン。コーヒー。果物か野菜サラダ。ヨーグルト。これが近年の私の朝食だ。」 

 

     二月には甘納豆と坂下る       三月の甘納豆のうふふふふ

     四月には死んだまねする甘納豆  五月に来て困ってしまう甘納豆

     甘納豆六月ごろにはごろついて  

 

 「あんパンに空洞窓に楠の花 」 坪内稔典

  

 

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~ホームページで発見! 上品でふんわり〝ほっこりあんパン〟~             

 

【写真提供】 ケーキ・ホームベーカリーモリモト(石川県羽咋市中央町)
TEL 0767-22-6655  

 

 

2012年1月10日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第27回 柳川雛祭り「さげもん」

柴山潟〝桜〟周回廊計画」進行

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立春が過ぎたので、お雛様を飾った

 

38年前に購入した七段飾りのお雛様でたいそう大きく、とても全部を飾ることもできないので、内裏様だけにしている。

大阪では松屋町(大阪的名称は、まっちゃまち)は人形の問屋街です。南北に地下鉄一駅の長さで、左右に人形や花火や、玩具、縁日景品、イベント景品などの商店が並んでいます。五月人形までは稼ぎ時であります。

 

お雛様といえば、福岡県柳川市にある「柳川雛祭り さげもん飾り」が有名です。雛祭りを彩る「さげもん」の飾りつけを親族あげて手作りするそうです。

 

柳川には、柳川藩主立花邸「御花」があります。「御花」の歴史は、元文三年(1738年)に別邸として築かれました。明治43年に十四代立花寛治伯爵によって整えられた「松濤園」と「西洋館」は素晴らしい。

「御花」に20年前位に宿泊したことがあります。当時、記憶が正しければ、立花家史料館で観た、お雛様や調度品に感嘆したものです。(立花史料館Webサイトでコレクションが見られます。)

NHK朝の連続ドラマ昭和41年、樫山文枝、高橋幸治出演の「おはなはん」は「御花」がモデルだったと記憶しております。そして、柳川の「鰻のせいろむし」が絶品でした。

 

 

水郷の街「柳川下り」と北原白秋

 

柳川雛祭り「さげもん」

 

北原白秋 生家

 

(写真提供:柳川市観光協会)

 

 

400年前に柳河城築城のおり、城下町を形成するために人工的に濠を掘って整備されたもので、柳川旅情が味わえるお堀巡りです。

また、北原白秋は「水の構図より」で『わが水郷柳河こそは生まれの里である』と書いています。(北原白秋記念館)

 

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大聖寺川流し舟

 

加賀百万石の大聖寺支藩三代藩主・前田利直は、大聖寺川を流れる庭園に清遊の場として「長流亭」を立てました。

「流し舟」は、この「長流亭」の川面を古の面影を偲んでゆっ~たりと進みます。

船頭さん (瀬戸 達氏)が唄う「山中節」は、川辺に糸を引くように流れ、しばしうっとりと…。

 

 

 

 

 

【写真】/上 桜の時期の「流し舟」(写真提供:NPO法人 歴町センター大聖寺)

    /下  若葉の頃の「流し舟」(撮影:I Love加賀ネット)

 

 

2012年2月7日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第26回 立春に卵立つ

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」進行

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節分、立春と、季節は春への誘い

 

二十四節気で小寒、大寒と続き節分。文字の通り冬から春に変化する節目の日です。雨水、啓蟄、春分、清明と続いていきます。4日(本日)は立春。まさに春が立つであります。

 

「立春に卵が立つ」は幾度も朝日新聞や各紙に紹介されたこともありますが、

中谷宇吉郎雪博士「雪は天から送られた手紙である」は、この立春に卵が立つ 

    について、中谷宇吉郎随筆集に詳しく書かれています。

 

中谷博士は物理学者ですから科学や物理の面からも、さまざまな実験などやったようです。卵は立春と関係なく立つという結論です。

 

コロンブスの卵以来、卵は立たないという思い込みや、誰もがそう信じてしまっていた盲点が人間の錯覚になっていると指摘しています。

 

 

「誰がやってもできない。」「そんなことは前例がない。」「そんなことは不可能だ」

 思い込みはやめて、人間の持つ最大の武器「思いつき(閃き)」を活かしていきたい

   ものです

 

 

『春立や 愚(ぐ)の上に又愚(ぐ)にかへる』 小林一茶

 

 説明…愚にかえる 法然の法語に「愚痴にかえりて極楽に生まる」還暦の前文あり

 

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   北陸地方は「大雪」続きだったため 玄関先の〝梅〟はまだ「芽」がでません。

 

 

  

2012年2月4日立春

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第25回 豪雪とスマートフォン

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」進行

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猛威をふるう自然への対応 

 

北陸地方は昭和38年の豪雪(38豪雪)、同56 年(56豪雪)、そして、今年は平成18年の豪雪に次ぐ大雪になっています。

38豪雪は、北陸線がマヒしてしまうほどの積雪で、屋根の雪下ろしによって玄関まで雪で埋まり、二階から出入りしていたことなど今でもよく覚えています。

列車に閉じ込められた乗客に、おにぎりなどの食料品を差しいれたりしたボランティア活動もニュースとして取り上げられました。

 

一人暮らしのご高齢者にとって、今年の豪雪は難儀なことになっているのでは

     ないかと心配です。

 

 「豪雪に 故郷想う 寒椿」
「月冴ゆる おもねらずひく 紅の色」
「風雪を 内包してぞ 春近し」
(敏夫)

 

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「ツララ」 ~凍てつく民家の屋根・駐車場~ 

 

                         2012.02.03 朝7:34 福井市内 で写す △▽

      

   早朝から「雪」かき 同市「町なか」で

 

 

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テレビ東京 毎週火曜日「ガイアの夜明け」1月31日

 

スマートフォンの光と影~利用者急増の裏で新たな危険性が放送されました。

スマホ人気に火をつけたのは米国アップル社「iPhone」。携帯電話の販売台数の77%がスマホというデータもあるようだ。

 

番組内容で注目したことは、三重県玉城町が高齢者にスマホを無料提供 していることです。 そして、高齢者がスマホを使いこなしていることであります。

スマホの「アプリケーション」に自治体からの連絡アプリ、緊急通報システムをトップにもってきていることです。

 

例えば急に体の変調がきた時にそのアプリを押すだけで、自治体に連絡が出来るようになっていて、病院に連絡してくれる。とか、コミュニティバスの予約をしておけば、近くのバス停まで来てくれるとか、GPSがありますので高齢者の現在地が確認できるとか、様々な用途に活用されています。

 

   89歳の男性も使いこなしております。また、ほとんどの お年寄りがスマホ

   使いこなしており、お年寄り同士のコミニュケーションツールとして大活躍して 

   いるようです。

 

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加賀市の「新統合病院」が、加賀温泉駅周辺に移転する話しが進んでいる。加賀市全域の利便性、緊急性に加え玉城町のような設備が備えられれば、 こんな良い事はない。 

 

東日本大震災で、津波情報を放送していた女性の職員が津波に流されてしまった痛ましいことがありました。このことを教訓に、緊急通報システムの重要性が問われています。

ラジオからの緊急地震速報など、以前に比べれば相当に進歩はしたものの、常に手元に持っているスマホには敵いません。

 

北陸地方の豪雪の最中に一人暮らしの高齢者が身動きもできない状態になって、食料も確保できないような状況になっていないか心配である。幸い、加賀地域は、現在そのような事態にまでなっていないと聞いている。

 

行政のサービスに、スマートフォン活用も大切だと、ふと、思った。 

 

地震、水害、豪雪と日本の自然は猛威をふるっている。人が自然に対応できることは、

知恵であり、応用であります。 

 

当会もこうした情報などの活用に積極的に取組んでいきたいと考えています。

 

 

  

2012年2月3日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第24回 歴史に学ぶ「柴山潟〝桜〟周回廊計画」

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」進行

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計画準備中

 

壮大な想いは必ず実現する

 

京都・宇治にある黄檗宗万福寺は、1645年(江戸時代)中国福建省から渡来した隠元禅師によって1661年に開山した。

 

鉄眼禅師は隠元禅師から中国で出版した一切経の原本を与えられ一切経出版の生涯の事業に取りかかるために全国、津軽から薩摩まで喜捨の旅に出る。

 

大阪では大洪水、近畿地方では大飢饉と度重なる被害に直面し、その都度民の救済に資金を投げ出した。三度の資金集めの旅でやがて資金も集まりました。それは着手から10年の歳月が流れておりました。初心貫徹、一切経の全六千九百五十六巻の出版を成就した。

 

この一切経は木版印刷が用いられており、版木は六万枚にも及んでいます。材料は版木として最適な吉野山の桜の木を用いています。そして現在の新聞活字に使われている明朝体は、この版木が基になっているといわれています。

 

この歴史には重要なことがあり、数多くのことを学ぶことが出来ます。

 

         ●仏教の百科事典というべき一切経を後世に伝えなければ為らない

           不撓不屈の強い意志が伝わってくることです。

         ●一切経を生涯の事業として喜捨を実行したこと。

         ●二度の災害や飢饉に直面し、その資金で民を救済としたこと。

         ●吉野山の桜を用いたこと(版木6万枚) 拠出した吉野山(当時の管理

           は解らないが)それもまた感動する。全国的に知られるソメイヨシノは、

           現在も吉野の山の桜は満開になっていること。

         ●400年前に為された事業が現在も脈々として継承されていることに

           大きな偉業であります。

 

柴山潟桜周回廊計画を考えた時に、趣意書の中で書き起こしたもので2010年5月のことでした。

様々な問題点などを抱えながらも乗り越えていく強い意志をもって、ようやく、3月18日に第一期植樹を実施することになりました。この事業は5年、10年と継続して行く事業です。

 

新聞記事 

 

 *     *     *

 

中谷宇吉郎 雪の科学館の〝桜

写真:潮津 保氏

(北國写真連盟・常任理事加賀支部長)

 

 

柴山潟~白山の自然を「宝」に、日本の〝心〟サクラを添えた癒し空間を目指し、

 「柴山潟周回」計画は

     環境保全と言う大きなテーマを基に

         加賀の観光、周辺地域の街づくりに貢献できるものと信じてやみません。   

 

2012年1月吉日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第23回 大聖寺と芭蕉 

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」

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 十万石文化は今も息づいて

 

大聖寺は、加賀百万石の支藩・大聖寺藩(初代藩主 前田利治)の城下町として栄えきた歴史と伝統文化の息づく街です。茶道、能楽、生け花等の芸事が庶民の間に浸透し、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせています。

 

江戸時代からの街並みをそのまま残し、錦城山城跡の麓には、禅宗、日蓮宗等の古刹が立ち並び、藩邸後の一部にあたる江沼神社境内にある庭園は、兼六園を模して造成されたと伝えられています。               【大聖寺観光協会ホームページ】より抜粋

 

 

 桜の時期の長流亭

 

 

 

芭蕉『奥の細道』より 全昌寺

 

大聖持の城外 全昌寺という寺に泊まる。猶(なお)加賀の地也。曾良も前の夜此の寺にて

泊まりて残す。       

 「夜もすがら 秋風聞くや うらのやま」 曾良

 

と残す。

一夜の隔、千里に同じ。吾も秋風を聞きて衆寮に臥せば 曙の空近こう、読経声すむままに、鐘板なりて食堂に入る。

けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下る。若き僧ども紙硯を抱えて、階のもとまで追来る。折節庭中の柳散れば

「庭掃きて 出でばや寺に 散る柳」 芭蕉

 

とりあへぬさまして、草鞋ながら書き捨つ。

「奥の細道」の旅の初めから行動を共にしてきた曾良との別れ。曾良はお腹を壊して、伊勢の知り合いのもとに旅立つ。        【長谷川 櫂「奥の細道」を読む】から抜粋

 

 

 大聖寺 全昌寺

 

 

 写真・いずれも「大聖寺観光協会」提供(ホームページより)

 

 

2012年1月27日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

第22回 大聖寺と加賀文化

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」

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大聖寺と I Love加賀ネットに縁あって,菅生石部神社に伝わる幻の謡曲「敷地物狂

  (しきちものぐるい) 」のセミナーに参加すること ができた。

 

 

          小生宅の先祖は、

          大聖寺菅生神社の前の敷地橋詰の所で居を構え、料亭「桂花楼」を

          営んでいた。{明治初期}

          そして、伯父が大正7年に菅生石部神社境内で撮した写真2枚が

          古いアルバムから出てきたのである。

 

            また、小生の祖父は福井で加賀宝生のシテ役として、足羽山

            (福井市)にあった能楽堂で趣味と教養を謳歌していたと言う。

 

            しかし、小生は能楽については無知、興味すら無かった。

 

             今回のセミナーで、面(おもて)の解説からシテ方、能舞台、などなど

                日本文化の象徴を初歩から学べたことは、

                今後の勉強と教養のプラスになったのである。

 

            今後、「敷地物狂」が、大勢の皆さんに披露して 「能」が「謡曲」が

           日本文化、大聖寺発信の加賀文化として発展する為に

            僅かでも勉強と奉仕が出来れば幸いと思うセミナーであった。

                  

                       *事務局コラム第12回に関連記事「敷地物狂」掲載

 

 

菅生石部神社(大正7年)

 

 

 

福井能楽堂(大正4年<1915>に舞台開き)

 

 

◎写真/前列中央が伯父の宮崎 為三氏

上記写真2枚は、筆者大井信夫氏の提供

  

 

福井市加茂河原町 21-18-6

大井信夫(65歳)

<I Love加賀ネット会員>

 

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