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第193回 「防災を考える」

 

七十二候 禾乃登(か すなわち みのる)稲などの穀物が成熟する季節。

9月には入り、ようやく朝夕は涼しなったようである。とは言え大阪の日中は30℃を超えている。例年中旬まではと思うが、木々の緑が強い日差しに正に負けたように瑞々しさが乏しく、黄ばんだ状態のところが多くみられる。

 

9月1日は「防災の日」防災週間である。全国各地防災訓練が実施されたが、今年は防災と人災(北朝鮮ミサイルが北海道上空に打たれ、また9月3日に水爆実験、震度6と発表。一気に緊迫状態にさせられている。)一触即発、チキンゲーム状態である。やりたい放題であるが、現憲法の足枷で日本はどうにもできないのが現実である。厳重に抗議したり、外交努力では、中国、ロシアとの綱引きでこれも難しい。

防災訓練とミサイルに対する防御訓練。昔の空襲警報で身を隠すようなことではなく、如何にして防御するかにかかっている。二層防御では難しいようである。不安な日々になりかねない。こうした9月1日からの防災訓練に今年は追加されたようなものではあるが、

2日(土)筆者の豊中市は合同訓練で実践的な防災訓練を実施した。また、5日は大阪府が大阪880万人防災訓練として府民が一斉に訓練に参加する。スマホ、携帯に地震、津波の警報が入ります。筆者のマンションでは、この日防災委員会が主導して訓練を実施する。

夜間も安全確認をLEDペンライトで「無事です」連絡をし、チェックします。防災訓練は繰り返しやることで、いざという時に役に立ちます。防災グッズ、防災用具、個々に防災リックに備蓄して、何時でも備えが出来ていますか。都市における少子高齢化による防災対策、ことに要介護者、弱者における防災対策は緊急を要することである。

 

地方創生も都市に限らず高齢化と人口減による緊急対策が不可欠である。

そのうち来るであろう東南海地震に備えをする。人災を起こさない。減災に努力する。今年は地震よりも各地の記録的洪水に悩まされたのではないでしょうか。これからは台風シーズンでもありますが、すでに来た15号など1か所に居座り続ける嫌な台風でもあった。

地震、天災、水害、そして戦争等には努々ならないことを願いたい。とは言えそんなことはないだろうと云うノー天気なことでもないだろう。

 

 

2017(29)08.15

NPO法人 I Love加賀ネット事務局長                              東川 敏夫

 

 

第192回 七十二候「寒蝉鳴(ヒグラシ鳴く)」 

 

暦では立秋が過ぎ、七十二候「寒蝉鳴(ヒグラシ鳴く)」

夜間幾分気温も下がり、寝苦しさから解放される。虫が鳴き、ヒンヤリ感が覆ってくる。

直ぐにやってくる秋。日本の季節は素晴らしい。

 

 

英国世界陸上では、100M×4 銅メダル。まさかのボルトの疾走故障があったとはいえ、堂々たるメダルである。競歩50Km銀メダル、銅メダル、5位と大活躍である。2020年東京五輪が楽しみである。ゴルフ(全米プロ)松山英樹がメジャー初優勝かと。

残念ながら6位に終わった。世界におけるスポーツ選手の活躍は目覚ましいものがある。そして、甲子園は、石川は航空石川、福井は坂井。熱戦が繰り広げられている。2回戦そして、ベスト8へ。夏休みは高校野球、甲子園である。

 

スポーツの世界では楽しみがあるが、北朝鮮との緊迫した状況にあるのは、何とも不気味である。米国トランプ大統領も内憂外患であり、危機管理のレベルを上げていかざるを得ない。日本における北朝鮮危機は最早安穏とはしておれない状況と理解した方がいいと考えざるを得ない。金正恩、トランプの暴走がないように祈るしかない。緊迫関係を解きほぐす方法はあるのだろか。正しい情報はどれなのか解からない。日本のマスコミはフェイクニュースを流し続けている。既に可笑しくなっていると思っている。

 

間違った情報を鵜呑みにすることなく(これまでのマスコミと明らかに違う)自らが正しく判断できるようにしておく必要が出てきたと云える。マスコミの情報操作が甚だしいものがある。歪な東京都政や日本ファーストの会等の勘違いが起こってしまう。兎も角嫌な時代ですね。

 

 

「奥の細道」芭蕉は立石寺で、五月二十七日(陽暦7月20日立石寺で

「山寺や石にしみつく蝉の声」を句をよんだ。この句は「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」と改案され、さらに「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と改められた。

「五月雨をあつめて涼し最上川」 六月十四日(陽暦8月5日)酒田の豪商寺島彦助に招待され安種亭(安種が崎の別荘)で俳諧が催された。「涼しさや海に入れたる最上川」と。その後「暑き日を海に入れたり最上川」と改められた。

 

六月十八日(陽暦8月9日)「象潟や雨に西施がねふの花」

七月四日(陽暦8月25日)「あら海や佐渡に横たふあまの川」この日は雨であった。また翌日の五日も雨で、出雲崎を出て、柏崎に至った。熱い真夏を越後路の旅で、これから加賀の国に入ることになる。倶梨伽羅峠を越え、金沢に着いたのは七月十五日(陽暦8月29日)のことです。

 

8月15日終戦から72年。何もせずして日本の安全はあり得ない。大きな節目である。

 

 

2017(29)08.15

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第191回 「温故知新」歴史に学ぶ地方創生

第191回 「温故知新」歴史に学ぶ地方創生

 

 

当コラムもNO190から約半年、季節は二十四節気芒種(ぼうしゅ)。

七十二候蟷螂生(とうろううまれる)稲などの実に針状の「芒」(のぎ)がある穀物の種をまく時期。蟷螂はカマキリ。今日から九州、四国、中国、近畿に梅雨入り宣言。例年より三日遅いとのこと。

 

梅雨の季節になると、60年以上前の「湯の祭り」の光景が記憶の底からが甦ってくる。当コラムのNO175に「蕪村と湯の祭り」で書いていますが、湯の祭りと云えば雨の記憶である。それも尤もなことで、梅雨のど真ん中の時期だからである。

 

芭蕉は奥の細道で

「むざんやな 甲の下の きりぎりす」芭蕉

「幾秋か甲にきえぬ鬢の霜」曾良

「くさずりのうら珍しや秋の風」北枝


 

  寿永二年6月1日(1183年6月22日)治承・寿永の乱(篠原の合戦)である。

斎藤実盛は源為義、義朝に仕え、保元の乱で勲功をたてたが、平治の乱に破れ、義朝滅亡後は平宗盛に仕えた。寿永二年平維盛が十万の兵を率いて、北陸に木曽義仲を攻めた時、老武者と侮られない為に、白髪を染めて出陣、その際宗盛から錦の直垂を賜った。錦の直垂は大将が着用する金銀織り交ぜた立派なものだった。そして篠原の合戦である。

幼い頃実盛に救われて成長した木曽義仲は、実盛が、手塚太郎光盛討たれ、樋口次郎が首実験をして、今まで蟀蟋黒髪が白髪になり、実盛であることが明らかになり、木曽義仲は昔の恩義を思いおこし白髪頭を見て号泣したと云う。(平家物語「篠原」「実盛」)

こうした歴史的背景を芭蕉は「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と詠んだのだろう

  1. 実盛の甲は多田神社へ奉納された。「詩経」の「十月蟋蟀、入我牀下」コオロギ床下にありを意識の中に持っていたと思われる。

(麻生磯次著「芭蕉物語」(中)より引用)

 

木曽義仲(源義仲)は倶梨伽羅峠での勢いをそのままに篠原の合戦に挑んだ。そして前日までは激しい雨が降っていた。梅雨の真只中なのである。

 

探題実盛 蕪村

「名のれ 名のれ 雨しのはらの ほととぎす」  落日庵 名所小鏡

(新潮日本古典集成 校注清水孝之 与謝蕪村集より NO175でも引用)

「さぐりだい」詩歌の席上幾つか出された題の中から探りあてた題を詠むこと

「実盛」は斉藤別当実盛。『平家物語』七実盛最後参照。

実盛が手塚の太郎光盛に討たれたこの篠原に、今雨が篠突くように降っている。

時鳥よ

実盛の鎮魂の為に一声鳴いてみてくれ。謡曲の文句通り、地名を詠みこんだ掛け詞は技巧的だが明晰にこなした秀句。

♢名のれ名のれ「名のれ名のれとせがむども終に名のらず、こえは、坂東の声にて候ひし」

(謡曲「実盛」)時鳥の鳴くことを「名のる」というのは古歌に多い。♢しのはら 加賀の国と「篠突く雨」と掛ける。

 

蕪村 探題

「名乗れ 名乗れ 雨篠原の時鳥」

平家物語、謡曲「実盛」、芭蕉、蕪村が後世知るところとなり、また「篠原の合戦」の歴史はこれからも継承されていくはずである。

 

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NPO法人I Love加賀ネットは、毎年「春のウォーキング」には、「篠原合戦」をコースに歴史ウォーキングとして定着させています。

 

本年6月3日(土)、「篠原の合戦」を回顧するシンポジュームが開催されました。

“古戦場„跡の首洗池・実盛塚に、実盛・義仲・光盛の子孫が参加しての画期的な企画です。(事業報告に掲載参照)

歴史や文化、伝統、科学など地元の先人は遺産として残してくれました。更に柴山潟と白山という大自然が人の歴を見守ってきました。こうした資源・資産に恵まれた場所は、中々見つかるものではないと思っている。それだけ価値観が高い。観光のみならず、文化や自然や歴史に育まれる人々の安らぎを、求めていかなければならないと思っている。

ともすれば、これまでのように「おんぶにだっこ」ではいけないのではないでしょうか。「温故知新」歴史を知れば知るほどに、様々な創造力が芽生えてくるものである。構想力や創造力は実行した時にこそ意味がある。

 

2017(29)06.14

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第190回  士為知己者死 女為説己者容 

 

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

士為知己者死 女為説己者容

(士は己を知る者の為に死し、女はよろこぶ者の為にかたちづくる。)

 

中国春秋末期、戦国と呼ばれる時代、最大の諸侯「晋」が有力家臣団の三氏に分裂し、

「韓」「魏」「趙」の三国が誕生した紀元前403年から秦の始皇帝が天下統一を成し遂げる同221年までの182年間を戦国という。弱肉強食。諸子百家の時代であった。

「百家争鳴」「百花斉放」を呈し、諸侯は有能な士を召抱えようとした。そして有能な士は「己を知る者」を求めて諸国を遍歴した。戦国は男の時代、「義」を重んじ、義のために己を平然と投げ出した。

 

187回「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」つづき

士は己を知る者の為に死す「義」とは何か。「大義」「忠義」の一点である。武士の一分、武士の忠義の重たさや無念さ、赤穂藩取り潰し、お家断絶、そして赤穂浪士となる武士の意気地など、幕府の政道に対しての不満ややるせなさが仇討に繋がっていく。

 

筆者は大高源吾(子葉)と藤原宗邇(上島鬼貫)が東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた俳人鬼貫と芭蕉の後江戸の俳諧中心的人物、水間沾徳に師事した子葉の俳人の関係の一夜ではなく、鬼貫も源吾も「義」「武士の一分」を句の奥深く閉じ込めた、そして研ぎ澄まされたものではなく、穏やかな心での対面であったのではないかと勝手に思っている。

水間沾徳に師事した赤穂義士の富森助右衛門正因、大高源吾忠雄、神崎与五郎則休、萱野三平重実は俳号を、春帆、子葉、竹平、涓泉と号した。前号で紹介した「二つの竹」に掲出されている。

かくて、子葉は伊丹を去り、神崎の渡りにでる。

「秋ざれの鍛冶屋を覗く夜道哉」子葉   鍛冶屋(刀鍛冶)を覗くであるが。

「栢ぐるみまつとしきかば四十雀」子葉

年末は「忠臣蔵」の映画、歌舞伎などで盛り上がると云っても高齢者だけかもしれませんが、大義や忠義といってもピンとこない人が多くなっていく中で、これまで日本人の精神的支柱としての四書五経―朱子学―陽明学を理解することは難しいと思います。

 

元禄時代は朱子学の考え方であったことも背景になっていた。

 

大聖寺新田藩もまた

元禄5年(1692年)大聖寺藩の二代藩主前田利明に死去、その後を継いだ三男前田利直は弟利昌に1万石を分与したことから、大聖寺新田藩が立藩した。但し、藩といっても大聖寺藩の収入分から1万石を与えられただけで、独自の藩庁などの行政機関は持っていなかった。宝永6年(1709年)第五代将軍徳川綱吉が死去し、その葬儀が寛永寺にて行はれる。このとき、大和柳本藩主である織田秀親が、朝廷からの使者に対するご馳走役大准后使饗応役を命じられる。同じく、利昌もこの役中宮使饗応役に任じられた。

 

どうも二人は以前より折り合いが悪かったらしい。2月15日、翌日の将軍徳川家宣の参詣行事について書かれた老中の奉書が届けられ際、饗応役はそれを閲覧することになっていたが、織田秀親は利昌に見せようとしなかったらしい。その場で利昌は小刀に手をかけるも、いったん踏みとどまった。が、利昌は2月16日、法会が寛永寺で行はれている時に、寛永寺吉祥院の宿坊で、家老木村久左衛門に秀親を後ろから羽交い絞めにさせた上で、織田秀親を殺害した。

この為、利昌はその身柄を山城淀藩主石川義孝に預けられ、同18日切腹となり、大聖寺新田藩も廃藩となった。藩の成立から18年の短期間であり、政治機構自体が存在していなかったため、新田藩の領地1万石は、幕府に一時没収されたが、後に大聖寺藩に返還されている。

 

大聖寺新田藩主、前田利昌は切腹となる。元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に斬り、お家断絶、赤穂藩取り潰し、そして赤穂浪士忠臣蔵の遺恨事件と同様の殺傷事件が起こっている。人間の性というか、遺恨や怨嗟はどの時代にもあることの証である。事件前日に、利昌は家臣木村久左衛門に赤穂事件について感想を求めたという。木村は「内匠頭は切らずに刺せば本懐を遂げられた」と返答したという。いずれにせよ、赤穂藩士忠臣蔵が幕府の先例としてあり、この事件の裁断の裏付けとなったのは間違いなさそうだ。無論それ以前からそうした類似事件はあったし、それ以降もなかった訳ではなさそうだ。利昌の切腹と同時に家老木村久左衛門についての記述はないが、おそらく武士の本懐として切腹と相成ったと考えられる。

 

大聖寺藩と僅か18年間の大聖寺新田藩。加賀百万石が生き残っていく為に、徳川幕府に睨まれないように知恵と工夫を駆使いていく様が感じてならない。元禄文化の終焉とこの先長く続いていく徳川の時代、幕末まではまだまだ先のことである。忠義に生きてきた武士の生き方と俳諧のもたらす役割は深いと思っている。

 

蕪村は「新花摘」の中で、其角が書簡中で「義士四十七士」と認めたことを記しており、四十七士に命を帯びた寺坂吉右衛門か自刃した萱野三平かはどうなのだろうかと。

 

子葉の辞世句  「山をぬく力も折れて松の雪」

「山を裂く力も折れて松の雪」 何れもあり

切腹前に少紙に書いた句と云われている

「梅でのむ茶屋もあるべし死出の山」

 

≪参考≫ 伴野 朗著「士は己を知る者の為に死す」より  復本一郎著「俳句忠臣蔵」    Wikipediaより引用する。

 

2017年1月23日

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第189回 2017年を迎えて

 

2017年 謹賀新年

 

旧年中は、当「コラム」お読みいただき誠に有難うございます。皆さまから「とても興味深い内容が多い」「歴史散策、郷土史に深く関わり、それを自身の足で探索・研究している」等、お褒めの言葉を戴き光栄に存じます。また、その節にはご協力を賜りました皆様に厚く御礼申し上げます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

            *     *     *

米国トランプ新大統領就任が年初の大きなニュースとなります。世界が注目する出来事であり、どうの方向に世界が動いていくのかが予測できないだけに、予断が許せないところであります。既に2016年次期大統領と決まった時から日本経済は円安にふれ、株も20000円に急接近と動き始めています。トランプ大統領となっての政策、経済が世界をプラスに導いていけるのか、また日本にとってマイナスにふれるのか解からない。

2016年は想定に反したことが表面化し、従来と異なる思考や行動になり、短期的な判断は難しいことになっているのではないでしょうか。

 

日本はこの先も人口減に悩まされ、すべてに関わる少子高齢化が様々なところで影響を及ぼし始めています。地方行政も深刻な状況に益々なっていきます。団塊の世代が70歳を迎える2017年でもあります。

 

難しいかじ取りになりそうな年でもありますが、東京五輪、万博、北陸新幹線延伸などこの先10年が少しずつ見え始めてくる年ではないでしょうか。

 

NPO法人I Love加賀ネットも新しい事業や人材育成など積極的に取り組んでいかなければならない課題も多いところではありますが、これまでの着実な実績と新事業を加味し更に充実した年にしたいものだと思っております。

2017年 本年もよろしくご愛顧頂きますよう、お願い申し上げます。

 

 2017年元旦

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第188回 2016年を振り返る

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

                                                                                  2016年を振り返る

2016年を振り返ってみると、美術館や展覧会、名所旧跡めぐりが例年よりもはるかに多かったように思う。殊に「若冲や蕪村」生誕300年ということもあり、若冲や蕪村を中心とした展覧会巡りが多かった。

 

事務局コラムを書くにあたり、例年よりも諸条件が厳しい時間であり、さまざまなことが多かっただけに、美術展めぐり等、より一層こうした時間が取れたことで充実感を味わったと思っています。長い間忘れかけていた絵画(鉛筆デッサン画、水彩画など)を展覧会など鑑賞したことがきっかけで画き始め、この一年で随分と多く画くことができました。一年前と比較するとやはり数段上手になったと思っています。文章も俳句も水彩画やデッサンも繰り返し繰り返し練習して上手になっていきます。毎日繰り返すことによって終わりがありません。試行錯誤を繰り返しながらやることが、痴呆を予防することに効果があると講座で専門医から聞きました。

 

今年はと云うよりも、現場主義で必ず書きたいと思っていますので、足を運ぶことを実行する。このことがすべての原点だと思っています。

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11月後半から、「俳人の忠臣蔵 萱野三平」を書きたいと、箕面萱野町から豊中岡町約10㌔を歩いたり、若冲展を鑑賞し、そして「壺中之展」大阪市立美術展を、逸翁美術館で与謝蕪村「奥の細道」画巻保存修理完成を鑑賞に行きました。鑑賞できる時には兎も角行くと決めておかないと、期間のあることですから、つい行きそびれてしまって後悔することになると思いますので。そんなことで、比較的積極的に美術館や展覧会、コンサートには出かけるようにした一年でした。

今年は、昆虫展(京都大学博物館)を鑑賞したことが、昆虫の絵を描く事へ、拍車がかかりました。昆虫の世界は楽しいものです。

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年末になると新聞紙上では今年の出来事として記事にはなりますが、自分のこの一年を振り返ることも必要かもしれません。

 

NPO法人I Love加賀ネットもこの一年は充実した事業を展開してまいりました。

まだまだと思えることもあるかもしれませんが、コツコツと実績を作り上げていくことが、結果的には不足の個所も埋め尽くしていくものと考えております。実績の積み上げは多くの方からの信頼でもあり、支援でもあります。継続していく力を更に向上させていく為に、2017年も新しい事業に取り組みたいと考えております。

 

2017年もよろしくお願い致します。

2016(28)12.31

NPO法人I Love加賀ネット

事務局長 東川敏夫

 

第187回 「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その二

                      学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動                                                     

                                                               

                                                        

              赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その二                   

                                                

「かく山を 引ツたてて咲しをに哉」  子葉

「月はなし 雨にて萩は しほれたり」 鬼貫

 

子葉(大高源吾)と鬼貫(上島鬼貫 藤原宗邇)の交歓句ありと。

復本一郎著「俳句忠臣蔵」(新潮選書)から引用させて頂きます。学術的な面や研究を考えると、筆者などには到底できることのない研究をされております。

 

上記の句は、義士俳人子葉が編集、公刊した俳書「二つの竹」 元禄十五年(1702年 仲夏(陰暦五月)に収録されている句です。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、元禄十五年十二月十四日で、討ち入りの七か月前には「書として体裁がととのっていた」ことになる。「二つの竹」のタイトルに深い意味があり、謡曲「放下僧」よりの引用で、父のかたき討ちをテーマとするもので、「二つの竹と名ずけたる冊子の名は、うちをさまりしといふ謡物の言葉を借りつらめ」とある。仇討の意図がそこにある。だからこそ「二つの竹」に俳人子葉は(大高源吾)魂のすべてを注ぎ込んだといっても過言ではない。「二つの竹は」子葉(大高源吾)の覚悟なのである。

 

さて、その一に少し戻ってこの「二つの竹」の交歓句に収録された場面を想像しながら、進めていきたいと思う。

 

大高源吾(子葉)が萱野三平(涓泉)を訪ね、何日間か涓泉居に滞在したかは解からないが、何れにせよ大石内蔵助からの命を伝えるのが目的であったはずである。そして勝尾寺や大滝の秋をどのような思いで味わったかは解からない。

 

萱野三平は、父萱野七郎左衛門重利より、他家へ出仕を促されており、忠孝の板ばさみに悩んでいた最中の頃である。仇討への思いと子葉(大高源吾)からもたらされた討ち入りの決意の忠は、涓泉(萱野三平)は如何ばかりであったかと。

 

子葉は水田西吟の居宅摂津桜塚の落月庵に向かった。西国街道にある萱野邸から落月庵(現在の豊中市岡町)までは緩やかな下りの道である。子葉は、蘭風(藤井光貞・水仙堂蘭風は萱野三平の叔父)と、落月庵に向かう。西吟は井原西鶴の弟子で「好色一代男」の版下を書いたことで知られている。子葉が西吟の求めに応じて料紙に書いた一句は「掃庭やいやがられても馬糞茸」と。

そこで、蘭風、休計、子葉の句(蘭風、休計の句も二つの竹に)「張箱に蓑虫鳴くや桜づか」蘭風 「おもかげの障子は動くしころかな」休計(休計は箕面の俳人で西吟とすこぶる親しかったらしい) そして「裏枯れや餅にとどまるさくら塚」子葉の句である。そして雨のたそがれ時に、桜塚を出立している。

 

愈々、伊丹の鬼貫を訪問し、一泊する。その時元禄十四年(1701年)鬼貫41歳。子葉30歳である。ここで書き出しの句がでてくる。当然ながら、二つの竹に収録されている。

 

子葉の挨拶句が 「かく山を 引ツたてて咲しをに哉」

紫苑が咲くことによって山がこのように美しく引き立って見える。という句ではあるが、し「おに」伊丹俳壇の重鎮、鬼貫その人を詠みこんでの句である。

 

「月はなし 雨にて萩は しほれたり」 鬼貫

月はなし、雨で見頃だった萩まで萎れてしまって、せっかくお越し頂いたのに申し訳がない、鬼貫は大した俳人ではありませんよ。との謙辞の句である。

 

筆者の注目するところは、鬼貫邸に一泊したところにある。子葉(大高源吾は赤穂藩士)鬼貫(藤原宗邇)も武士である。というよりも、子葉はお家断絶、武家社会から放り出された浪士である。また、鬼貫(藤原宗邇)は上嶋家の遠祖は武士で藤原秀郷(俵藤汰)に辿りつく武士である。鬼貫は仕官にこだわり、武士の一分を立てんとする終生の生き方を持っていた。清酒「三文字」の醸造元「油屋」の上嶋宗春の三男として摂津国河辺郡伊丹郷で生まれている。が自ら心底武士であると思っている。

 

こうした二人、俳人としての交歓句に包含される武士としての生き方や、思想、そして徳川幕府の武士社会を頂点とした、士農工商の封建制度の確立等と押し潰されそうになる人間としての悔しさが交叉する中で、俳人同士の会話で終わったのか、また、武士としての生き方を会話せずとも理解し合えたのかもしれないが、そう考えた方が自然であるのかもしれないが。子葉は、仇討はやりますとは云わないまでも、何らかの暗示をしたのかと勘繰りたくはなるが、言わずもがなの心こそ、武士の心情なのかもしれない。

 

武士社会を形成したのは朱子学(朱熹)である。五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(夫婦、父子、朋友、長幼、君臣)儒教(四書五経)から朱子学。

 

身分制度と礼節を用いた朱子学が江戸幕府の骨格となしていた。倫理観や道徳観を考えると、武士社会にあって、子葉や涓泉そして赤穂浪士の俳人たちは、涓泉同様に悩み苦しみながらも、仇討を実行する「忠臣蔵」である。

 

 

短い二日間の出来事の中から、元禄十五年十二月十四日の討ち入りへ繋がっていく。

 

                    2016年12月13日

                NPO法人  I  Love加賀ネット

                   事務局長 東川 敏夫

 

第186回 「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その一

                     

               「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その一

 

 

元禄十四年九月中旬、大高源吾(子葉)は、萱野三平(涓泉)箕面を訪れ勝尾寺、箕面大滝に遊ぶ。(元禄十四年九月中旬は現在の11月中旬なので季節的には丁度今の時期である。)箕面の山々は燃えるような紅葉が目に焼きついていたであろう。能勢街道を豊中(筆者所在地)箕面に向かってずっと上りである。そして西国街道にぶつかる。この元禄十四年九月中旬が重要な日である。

 

萱野三平記念館や上島鬼貫の年譜表には九月としか記述がない。が、大高源吾はおそらくその前日は京都山科に大石内蔵助を訪ね、吉良義央(吉良上野介)への仇討を確認したものであろう。(大石内蔵助は六月二十五日赤穂を去り、山科に向かうとある。)そしてこのことを箕面の、この年の四月に帰郷している仇討の一党に名を連ねる、赤穂浪士四十八番目の義士と云われる、萱野三平に伝えたのであろう。

 

 

元禄十四年三月十四日、「江戸城松の廊下」での刃傷事件は浅野内匠頭の切腹、お家断絶、赤穂城明け渡しの厳しい処分となった。赤穂浪士の討ち入り「忠臣蔵」である。

早籠で赤穂まで飛脚で8日掛るところ、4日で事件の第一報をもたらしたのは萱野三平である。この道中、西国街道沿いに実家、萱野邸前を通過するも、母親小満の葬列に出会うが、「一目母御に会っていけ」と同行の早水満堯に勧められるも「御家の一大事」と涙ながらに振り切り、赤穂に到着したといわれている。(亡母小満の百ケ日法要は六月二十八日に梅田・太融寺で行われた)

 

 

元禄時代は俳諧が盛んな時代で、東の松尾芭蕉、西の上島鬼貫と云われた。江戸俳壇の中心人物であった水間沾徳門下の大高源吾(子葉)神崎則休(竹平)萱野重実(涓泉)の赤穂浪士の技量は当時の俳諧人にも広く認められていたと云う。萱野一族にも兄重通など多くのすぐれた俳人が活躍したと云う。武士社会の江戸だけではなく、元禄の商人の町大阪俳諧も多くの俳人を輩出し、鬼貫、水田西吟、西鶴、そして近松門左衛門など元禄文化は上方でも大きく開花した。そんな元禄文化の光とお家断絶、城明け渡しそして仇討は幕府の影の部分であったといえる。武士と庶民、武と文の交錯した徳川幕府体制の確立をなしていく時代になってきていた。

 

 

また、赤穂義士には、多くの俳人が輩出された。

小野寺十内(俳号 里籠) 神崎与五郎(竹平) 原惣右衛門(来水) 茅野和助(禿峰)間重二郎(如柳) 寺坂吉衛門(万水) 吉田忠左衛門(白砂) 富森助右衛門(春帆)元禄文化は江戸、大坂のみならず全国に俳諧は広がりを見せていた。松尾芭蕉の「奥の細道」を見ればこのことはよくわかることでる。

 

萱野三平と箕面勝尾寺、箕面大滝で遊んだ大高源吾(子葉)は、桜塚(豊中市)に住む(落月庵を設けている)水田西吟≪新月の斧にちるらむ華のけふ 西吟≫又、井原西鶴は≪ここぞ萬句 俳諧名所の桜塚≫と詠んでいる。』や伊丹の鬼貫のもとを訪れる。箕面から能勢街道をずっと下りである。現在の豊中市役所(岡町)まで約6キロ、そして伊丹、猪名川を渡り昆陽池を過ぎると元禄の財が集まった酒造の町伊丹には、上島鬼貫が待っていた。鬼貫の年譜表にも九月、大高源吾(子葉)一泊する。と記してある。上島鬼貫は俳諧人であるとともに、藤原宗邇と云う武士である。交観句あり(「二ツの竹」)俳人としてまたこの日ばかりは、武士としての「羲」の思うにあったことと推察するばかりである。

 

萱野三平は仇討に反対の父重利に対する親孝行と、主君内匠頭への忠義の板ばさみが大きな重圧となり、元禄十五年一月十四日、自宅長屋門の一室で自刃し人生に終止符を打つことになる。

 

萱野三平辞世の句 「晴れゆくや 日頃心の 花曇り」涓泉   

萱野三平旧邸長屋門に碑があります。

大高源吾 「うら枯れや 餅にとどまる 桜つか」子葉    

豊中市にある原田神社境内に碑が建てられている。

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この旧暦九月の二日間のことを戯曲「伊丹の秋」三幕 俳人鬼貫の生涯より 作・佐坂茂男(地域研究いたみ 第九号 別冊 第三幕) に書かれている。また、あとがきで書かれてはいるが、萱野三平が鬼貫を訪れたという記述はないとも書かれている。

 

たった、この二日間のことが「時は元禄十五年十二月十四日」赤穂浪士の討ち入りに繋がっていく。

 

 

 <次号へ続く>

記事並びに写真の転載はご遠慮ください

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【参考資料】 地域研究 いたみ 第九号 上島鬼貫年譜考(櫻井武次郎・安田厚子)

萱野三平旧邸長屋門・涓泉亭パンフレットより

 

2016年11月28日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第185回 「法人 I Love加賀ネット創立9年目に向けて」

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

自然環境の保全を図る活動 I  Love加賀ネット<当会定款より>

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

「法人I Love加賀ネット創立9年目に向けて」

 

NPO法人I Love加賀ネットは2008年(平成20年)11月11日に設立。2016年 (平成28年)11月11日は9年目に入ります。

 

2008年と云えば米国第44代オバマ大統領が誕生した年でした。それから8年の歳月が流れ、11月8日に米国大統領選挙がおこなわれた。9日は日本でも開票速報が流れクリントンか、トランプかで接戦でスタートした。最大10ポイント差でクリントン有利の予想が大逆転でトランプに決まり、共和党が8年越しで大統領を民主党から奪取した。

大方の予想を覆しての大逆転の要因は解からないが、米国民の不満や変革を汲み上げることができなかったクリントンの戦略的敗北と云えそうである。ニュースを聞いているとどれもが本質でありはあるが、本音ではないような気がする。

なぜトランプが勝利したのか、それこそ勢いが流れを変えたと云ってもいいのかもしれないが、どう分析するのか、またどう対応していくのかが今後大きく影響してくる。アウトサイド トランプに期待する米国民、そして世界中が注視するトランプ米国次期大統領が誕生した。

 

NPO法人I Love加賀ネットは、この8年で様々な事業に取り組んできました。

中谷宇吉郎「雪の科学館」指定管理協同事業を中心として、春の歴史・文化をひもとくウォーキング事業、秋の爽やかウォーキング等の継続事業。また、柴山潟桜周回廊計画事業などの事業の運営や経済講演会(野村総合研究所 未来創発センター上級エコノミスト 佐々木雅也氏)等を主催し、故郷や市民の心に根差した地道な活動を実施することがNPO法人としてI Love加賀ネットの信用、信頼に繋がっていると確信しております。

 

更に推進していくこと

当会の基本理念として、加賀の自然資源を活かし「文化」「歴史」「科学」「教育」「まちづくり推進」の為の情報発信をしています。この基本的な考え方は、歴史と文化、そして恵まれた自然、柴山潟や白山は宝であります。教育、科学は未来に向けて更に発信していく創造の時代になってくると思います。

 

古くから北陸地方一帯を越の国と呼び古今和歌集では紀貫之が詠む

思いやる 越の白山しらねども 一夜も夢に越えぬ夜でなき

古から白山が詠まれ、そして未だその姿は雄大で、かつ心にいつまでも安らぎをあたえてくれるのは白山であり自然であります。

 

NPO法人I Love加賀ネットの目指していくものは、こうした自然や文化を大切にしながら、継続事業、新規の事業を展開し、当会の基本理念を地元の皆様と共に活動していくことができればと思っております。

今後とも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

2016年 (平成28年)11月11日

NPO法人加賀ネット 役員一同

事務局長 東川敏夫

 

 

第184回 「実りの秋とはいかなかったようで」

自然環境の保全を図る活動

 

「実りの秋とはいかなかったようで」

 

霜降から立冬、七十二候は「楓蔦黄」(もみじつた黄ばむ)7日は立冬で「山茶始開」(つばきの花が咲き始める) 12日からは「地始凍」(ちはじめておる)。

 

暦と気候も同時進行とはいかないようで、事業報告にも書いているように、白山頂上の初冠雪は11月2日、平年よりも16日、昨年よりも19日も遅く1902年の観測以来四番目に遅い冠雪のようです。気温が平年よりも高くそして遅くなっているので、秋の味覚は、豊作と思いきやどうもそう上手くいかなかったようなニュースが入ってくる。青森のリンゴが例年より小振りで、味覚には変化なさそうだが、どうも夏場の雨が少なかったのが影響しているとニュースは伝えていた。

 

筆者の居住の庭の柿三本とも休息の年のようで、残念な結果にも納得している。農業をやっている友人に聞くと前年にそうした状況にならないように手立てをしておくこと必要だと。

 

最近のニュースでは、熊に襲われて亡くなった方や、負傷した方が今年は非常に多いとのこと、熊のみならず鹿やその他の動物も団栗や木の実、そして餌となる植物が不作で、これまでよりも餌の領域が人間社会、生活の領域に入り込んできており、餌不足が原因と専門家は判断しているようです。

熊や鹿や猿等の動物は餌がなければ人間社会入り込んでくる。秋の味覚等と云っている場合ではなく、野菜の価格が2~3割も値上がりしているようである。

 

TPP(Trans-Pacific Partnership)環太平洋諸国が広域的経済連携協定。

TPP農業について衆議院で承認案可決。山本農水相不用意発言で混乱するも可決される。「食の安全」「日本の農業の将来」など釈然としないものがある。

 

米国大統領選挙が愈々行われます。ヒラリー候補女性初の大統領となるのか、トランプ候補になるのか、ヒラリー候補のメール問題でトランプ候補の激しい追撃を喰らっているようで、大接戦、大混乱で予測のつかない状況のようです。

TPPは両候補とも反対のようで、どのようになるかこれも分からない。結果は間もなく出るのだから。

韓国の朴大統領も機密情報漏洩事件で、支持率も5%に下落。日本は小池東京都知事の高支持率が続いているが、豊洲移転問題や東京五輪等の問題の方向処理を誤ると支持率にどう影響するのか?

いわば人気は一過性で、熱しやすく冷めやすいといわれている。

当欄NO179はミューヘン、サッポロ、ミルウォーキーCMの文章で、世界のトップリーダーは女性の時代と書いたが、まさか2カ月ほどで、特に韓国でのこの予想が崩れることになろうとは思いもしない状況になりそうである。予想はあくまでも予想なので、どうなるかは分からないし、そのことが良いのかどうかも分からない。

 

日本の人口は、1億2709万5000人で、2010年から96万3000人減少した。人口減少による様々な社会的変化、構造的変化の歪みが表面化し始めている。今のところ人口減は止めようがない。

日本の将来は、地方創生にありと思っているのだが、実に難解である。

実りの秋が続く期待感をもつのは当然なことなのだが、果実を得るためには不断の努力が必要であると。

 

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写真/加賀温泉駅から繋がる片山津温泉への道                             ~紅葉した木々の間を縫って~

=撮影11月6日=

 

2016年11月7日

NPO法人  I  Love加賀ネット                                      事務局長 東川 敏夫

 

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