NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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「I Love加賀ネット」ブログ随時更新中です。

第66回 昆虫の博物館(伊丹市・昆虫館)

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

野鳥の楽園、昆陽池

 

伊丹市・昆陽池公園があります。昆陽池は僧行基によって奈良時代(1200年前)に築造されたと伝えられています。様々な野鳥が飛び交い、緑につつまれた水辺で人が憩うオアシスになっています。そこに昆虫の博物館・伊丹市昆虫館があり、そして野鳥観察橋があり、野鳥を観察することができます。

アオサギ、ユリカモメ、オナガガモ、イカル、カルガモ、コゲラ、ツグミ、バン、カワセミ、コブハクチョウなど、多くの野鳥が飛来します。

ラムサール条約登録の片野・鴨池は湿地ですが、伊丹の昆陽池は街の中ですのでそうはいかないようです。自然保護から見ても片野・鴨池の重要さと三年後にラムサール条約登録を目指す柴山潟が野鳥にとっていかに重要拠点であるかがわかります。

 

   

 昆陽池と野鳥

     

 

昆虫館は蝶が舞う

 

昆虫館に入ると、200倍の模型ミツバチが展示されている。子供達はミツバチが動くたびに歓声を上げていました。世界の珍しい蝶や昆虫(カブトムシ、クワガタ、トンボなど)の標本が展示され、生態展示室には30種類の昆虫の生態を観察することができます。

昆虫の好きな人にとっては堪らない場所です。

 

             ミツバチ摸型

 

 

昆虫館の注目は「蝶の温室」です。およそ200種類の熱帯・亜熱帯の花や木々が茂るドーム型温室に14種類1000匹以上の蝶が乱舞しております。(半数は沖縄地方がふるさとの蝶と伊丹に生息する身近な蝶です。)【蝶温室は広さ600㎡、高さ15m、1年中18℃以上】

 

オオコマダラ、リュウキュウアサギマダラ、クロアゲハなどが飛び交い、子供たちの肩越しをすり抜けてたり、素早く上に舞い上がったりして、子供たちの歓声に絶え間がありませんでした。

熱帯・亜熱帯の花、ハイビスカス、ランタナ、タイワンレンギョウ、フウリンブッソウゲパパイアなどに吸蜜をもとめ、また一時の休憩をする。子供たちは無論のこと、大人も夢中になって蝶と遊んで世の中の厭なことも忘れさせてくれます。

自然に触れ合うことがいかに大切であるか、心の安らぎや癒しが成長していく子供たちにとっては生きた教育なのではないでしょうか。

 

            

                  ツムラサキマダラ                                             オオゴマダラ

 

         リュウキュウキマダラ

 

 

                          ナガサキアゲハ            

 

 

 

幻の蝶ブータンシンボリアゲハ

 

ブータン国 ワンチュク国王夫妻が2011年11月18日に来日し、東日本大震災の被災地を訪れた。来日にあたり、80年ぶりに発見された幻の蝶「ブータンシンボリアゲハ」雄2匹を日本に贈呈して頂きました。(当コラム第3回に掲載)

 

 

アサギマダラは台湾までの2300キロを飛ぶ

 

日本・長野県から台湾・台北の陽明山国家公園(蒋介石の別邸「中興賓館」)2300キロをアサギマダラが渡る。越冬の為、食べ物をもとめて、繁殖の為などではないかと言われている。(産経新聞、おやこ新聞2012年1月22日記事参照)

もう10年以上前に産経新聞記事を読んでいて、台北旅行の時に、陽明山国家公園を訪れた時に職員に新聞記事やアサギマダラのマーキングされた写真を見せてもらった。2300キロの距離を蝶(アサギマダラ)が渡っていくことが信じられなかった。神秘であり想像を超えた強靭さが伺えしれ、感嘆したものです。

 

 

蝉の声は今年も鳴き始めは遅れるのか

 

昨年は蝉の声が7月に入ってようやく鳴き始めました。幾分平年よりも遅かったようです。

伊丹・昆虫館の学芸員に「今年は蝉の声は遅れませんか」と聞きました。

「昆陽池の辺りではまだ聞いたという情報ははいっていませんので、例年よりも少し遅れるかもしれません」とのことでした。「今年は、雨が多かったのと気温が30℃を超えて、熱帯夜になると鳴くかもしれませんね」

「その他の昆虫はどうですか」「蝶などのその他の昆虫は例年どうりではないでしょうか」と親切に教えて頂きました。

 

子供たちが昆虫や、蝶や花や木々にふれ、自然と接する機会をもっと持たなければならないと思っています。インターネットやゲームはバーチャルな世界であります。情報を収集することには異存はありませんが、見る、触る、汚れる、痛む、熱い、冷たいなど本来、人がもつ感性が欠落していくことが心配でなりません。昭和世代の筆者にとっては、遊びの中で体験してきた五感を子供たちに伝えていく必要があると思っています。

 

こうした意味からも柴山潟のラムサール条約登録に支援をしていくことを

      惜しんではならないと考えています。

 

 

           

ハイビスカス

                

 

ラン

 

撮影/筆者< 伊丹市・昆陽池公園にて> 2012.6.24

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2012年6月29日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

                                 

 

 

第65回 片山津の自然の恵みに感謝

 

 

片山津を離れて50年。

 

年のせいか、幼少から青春を過ごした片山津での生活を思い出すことが多くなり、なつかしさとお世話になった方々への感謝の気持ちから何かできないだろうかと思っている折、お誘いのあった「I LOVE 加賀ネット」に二年前に会員登録しました。今春、桜の植樹企画に応募した際、加賀ネットの川口理事長から片山津での思い出話を一度書いてみないかとのお勧めがあり、今回、筆をとりました。

 

さて、私の両親は共に片山津の本村(本町)の出で、父・忠勝が旧海軍の軍人であったことから軍港のある舞鶴、横須賀、呉、江田島と転居を繰り返していました。父が昭和18年7月にオーストラリヤの海域で戦死したことから、私は母・清子と弟・忠昭の3人で片山津温泉一区に定住することになったようです。

私の過ごした家は、現在の「はさばタンス店」の裏手で小川のすぐ横に面していました。山手を水源として絶えず清らかな水が流れており、300メートル先の柴山潟に注いでいました。小川に並行して走っていた片山津・動橋間の電車道から南東の方角には柴山潟水系の水田がかなり遠くまで広がっており、その先には、白山の雄大な姿がありました。

弟も含めて近所の同年代の子供たちは、学校が終わると山手にある近くの片山津神社の境内に集まるか、夏場だと近くの小川に入るか、田んぼの水路や潟の岸辺で釣り糸をたれるか、日が暮れるのも忘れて遊んでいたものです。

 

当時は、終戦後の食糧事情の厳しい時期でもあり、食べ盛りの子供のために食材を確保しようと、どこの家庭でも苦労があったようです。

我家の場合、小さな畑でイモ類を、横の小川の淵でネギや葉物を収穫していました。村の親戚からも時折、季節の野菜や穀類をもらっていたようです。

我々兄弟二人も、母親の苦労を察してかどうかは記憶していませんが、食料を確保するために一定の貢献をしていたように思います。半ば遊びで覚えた魚取りが、貴重なタンパク源の確保となっていたからです。

 

家の横を流れる小川は柴山潟につながっており、水草やウロ(ほこら)が多くあったことから、ウグイ、フナ、タナゴ、ドジョウ、ナマズなどの淡水魚が多数入り込んでいました。夏場には網やブッタイ(竹ヒゴで作った漁具)を持って川に入り、ウロを足で踏みながら魚を追い込むのが効率の良い漁獲法でした。雨で水位が上がっている時や夏場以外の時期には、釣り糸を垂らして、フナ、ウグイを一本釣りして、夕食のおかずにしていました。水田の舟止場や船の水路では大型のフナがおり、ミミズを持って釣りポイントまで出張したものです。水田の脇の排水路にはドジョウが泥の中に潜っており、手づかみでも簡単につかまえることができました。

 

 

当時、肉、卵は我が家にとってはぜいたく品でした。金銭を出さずに、身近なところで手に入った川や潟の小魚は自然からの恵みであり、その後の命が支えられて今日があることを思うとふるさと片山津に心から感謝の思いです。

 

 

 ▽ 図説 かたやまづの歴史より―(当時・片山津~動橋間を走っていた北鉄電車)

  

 

                                                                                                                                     

最後に、信じられない話をひとつ。

 

その当時、柴山潟と日本海をつなぐ新堀川が完成するまでは、大雨が降ると柴山潟に大量の雨水が流れ込んで、温泉街や周辺の民家も冠水したものです。我家の横の小川も急激に水位が上がり、床下に川からの濁り水が流れ込んだこともしばしばです。そのたびに、母親と弟の三人で、畳をまくり床上浸水に備えるのが常でした。ある時、台風に伴う長雨で、床板のギリギリのところまで水位が上がり、状況を確認するために床板一枚をはがしておきました。子供にとっては、怖さ半分、異常な状況に対する興味半分だったようです。

 

水面を見ると、床板がはがされた部分からきらきらと何かが光るのです。どうやら、川の急流を避けて床下に入り込んできたウグイのようでした。兄弟のどちらが言い出したのかわかりませんが、釣り針にご飯粒をつけて糸をたらしたところ、ウグイが食いついてくるではありませんか。食い逃げの確率が高かったようですが、それでも何匹も釣れた記憶があります。釣れたウグイは、我家のおかずになったことはもちろんです。母親の前では決して口には出しませんでしたが、子供心に「大水もたまには悪くないな」と思ったのも事実です。成人してからは、一人で浸水の心配をしていた亡き母に心から申し訳なく思っています。

 

 

▽ ウグイ図 曽根瑠璃子さん(創栄社:曽根廣雄著「大自然の懐に抱かれて」より

 

 

 

 

▽ 片山津中学校《昭和31年卒》同窓生と I Love加賀ネットとの会合

(2010.5.22 片山津温泉)

 

    藤井忠邦さん 

 

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 2012.06.26

藤井 忠邦

(加賀市片山津出身・白山市在住)

 

第64回 加賀の柿の葉すし

 

~ 6月28日は 『片山津温泉開湯130年』 記念日~

昭和の時代の湯の祭り

 

6月の下旬の「湯の祭り」は片山津温泉の最大イベントでした。近年は8月に湯の祭りが移行されたようだが、祭事については動かさない方が良かったのではないかと思っている。

前々回に加賀・江沼郡小学校相撲大会や、大相撲の夏巡業など、三温泉(山中・山代・片山津)中学野球大会などスポーツイベントや催事があり、街は露店商がぎっしり埋めつくして、賑わいも相当なものだった。そんな楽しい思い出になっています。(昭和30年代~40年代のことです。)

 

昭和30年代の頃の懐かしい写真と記録 ≪写真の無断転用はご遠慮ください≫

湯の祭り(昭和31年6月28日撮影)                      

                             ◆家々では飾り付けをし「湯の祭り」を祝った

                             ◆湯の街らしい芸子さんの街流し

  ◆片山津・湯のまつり三温泉中学校野球大会

 

 

片山津の「柿の葉すし」

湯の祭りには「柿の葉すし」が食卓を飾り、前日から準備に大わらわでした。

 

私の家では、母が「山行って、柿の葉をとって来て」 「今年は何枚ぐらいいるんや」のやり取りをし、お薬師さんの裏道を登り、展望台から桑畑を通り、潮津までは行かないところに柿の木は沢山ありました。

 

当時は柿の葉をとっても何も言われませんでしたし、寛大だったんだろうと思っています。柿の葉を持って帰る頃には、母は大きなすし桶に酢を混ぜていました。

私はその横に座り、団扇でパタパタやりながらすし飯を冷やす(さます)手伝いをしていました。しめ鯖、鮭、小鯛、鰤などのネタ、桜海老、青藻、赤藻が揃えられていた。

 

父は湯の出旅館の板前でありましたから、すしネタなどは不自由しなかったようだ。取ってきた柿の葉を洗い、丁寧に拭き、幾分乾かして準備しておくのが筆者の役割でした。

 

柿の葉一枚一枚に、しめ鯖や、少し味付けをした小鯛、鰤を乗せていく。そしてその上に一握りほどのすし飯をのせて平らにしておく。その上に桜海老や青藻を乗せ先ずはひと段落となる。その形で大きなすし桶に一つ一つ並べていく。一段目には30枚程円状に並んだと思う。

二段、三段と積み上げて、上に柿の葉を並べて大きな重し(たくあんの重しのように)を乗せてねかせておきます。これで完成です。  

~明日の湯の祭りにはこれで美味しく食べられる。~

 

写真のようにふっくらとはしておりません。かなりの重しですので、押しつぶされている感じです。しかし、母が作った柿の葉すしに一番近いイメージではないでしょうか。  

 

柿の葉ずし

石川県のホームページから

◆写真提供:石川県健康福祉部健康促進課(加賀市/食生活改善推進協議会)

 

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◆柿の葉すしの歴史

玉寿司 柿の葉すしプロフィールでは、藩政時代に加賀藩祖・前田利家の金沢入城を祝い、領民が鮓飯の上に旬の魚等を乗せ、柿の葉に包んだものを献上した所、大変喜ばれたと。(玉寿司ホームページより)

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柿の葉すしは、奈良県・和歌山県、石川県の郷土料理。鯖・鮭・小鯛は共通ネタですが、奈良・和歌山では穴子、椎茸、石川県では鰤を地域特有のネタとして使用している。(ウィキペディアから参考)

柿の葉で寿司を全体に包みこんでしまい、長方形になっている。(奈良・和歌山)

柿の葉を下敷きにして上に鮓飯やネタを乗せ、姿が見られて、平らになっている。(石川県)

 

~ともに重しでねかせる。家庭では主に夏祭り・秋祭りの時期に作られる。~

 

柿の葉すしというと「湯の祭り」が連想致します。食文化も祭事と密接な関係にあり、切り離してはいけないものだと思います。NHKで「柿の葉すし」の紹介がありましたが、「柿の葉は冷凍庫に確保しています。」と。取材は山代温泉でした。

 

食文化と季節感

「柿の葉すし」を作っているお店や、家庭を探し廻りましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。おそらく、8月の湯の祭りには各家庭では作るのではないでしょうか。

季節感は、自然ばかりではなく、食文化にも存在します。大切なものを復活させたいものだと思っています。奈良や和歌山の柿の葉すしの文化と加賀・片山津の柿の葉すしは食文化を熟成したものではないでしょうか。

 

◆「図説 かたやまづの歴史」より…188頁に「食」に、『祭りや祝い事』 客用に、柿の葉寿司、茄子の煮もの・泥鰌の柳川煮、かれいの焼き物、ぼた餅、河くじらの煮物、酢の物・鯉の子付け刺身・油揚げでおもてなしをした。

   

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片山津温泉『湯の出旅館』/明治33年版正月用引札

 

◆写真提供/片山津温泉守護寺・愛染寺

正月用引札について詳しい事は http://w2272.nsk.ne.jp/~aizenji/

 

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2012年6月22日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

第63回 片山津のことば

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる心

 

 

方言は文化だ。

 

図説 『 かたやまづの歴史 』片山津町 (編集:かたやまづの歴史編集委員会 会長竹野 茂氏)を読み、「片山津のことば」方言研究家 大聖寺 野田 浩編―(頁177~184)のはじめに、『その土地で暮らした人たちは、自分たちの言葉(方言)を使ってお互いの心を通わせ、情報を通じて、毎日心豊かにおくってきた。つまり、方言はその土地に生まれ育った人たちにしっかりと根をおろした、馴染み深い大切なもので、その土地が育てた地域の文化とも言える。』と書いている。

 

         

 

                

                          

                          竹野 茂氏

(NPO法人 「 I Love加賀ネット」役員)

 

 

 「ら抜き言葉」は片山津地域では昔から使われていた。

 

ラジオ、テレビ放送、通信の進化にともない、言葉の全国標準化的言葉が良とされる傾向があり、地域の言葉(方言)が使われなくなってきていた。しかし、吉本興業が本格的に東京に進出し、大阪弁(関西弁)が電波に乗り全国に広がったといえる。全国各地の方言はその文化を背負いながらその地域のみならず広がりを見せ始めていると考えています。

NHKラジオでも民放の地方局の人気番組を取り上げて放送している番組もあるくらいで、ほとんどが地方の言葉(方言)で放送しています。

 

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  NHKテレビ番組「あさいち」で 『 りくつなぁ 』 言葉が全国放送されました

<5月31日朝8:15~9:54>

 

『 りくつなぁ 』とは石川県の方言で、たとえば新築された家を例にあげると(この家の間取りは、よぅーできとるがいね。りくつなぁ。)(よくできているね。すごいなぁ。)の意味です。

NHKの番組お知らせでは、「 ちょっと変わっていて面白い 」と言う意味を引用して、4っつの個性ある加賀温泉郷の「りくつ」なものをとり上げた内容でした。

 

ところで、住宅メーカー(北陸セキスイハイム)が、かつて民放のCMで〝りくつなぁ〟をキャッチコピーにしたことで〝りくつなぁ〟言葉が広まったことがあります。

このCMは富山、福井県にも放送されましたが、両県では意味が分からず、同社に随分「りくつなぁ」の問合せがあり、その意味が効果を奏し販売促進につながったと言うことです。

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地域に培われた言葉はやはり文化であります。片山津ことばの特徴として「~できる」という可能の意味の「~られる」は、ほとんど「ら抜き」で表される。「たくさん食べれる」「7時やったら起きれる」-野田浩編より。 

「ら抜き言葉」の「ら」を抜くことに本質があるのではなく、可能の意味を尊敬や受身の意味と区別しようというところに本質がある。

 

アクセントの平板化

地下鉄やJRにのって車内放送を聴くと、時々馴染まないアクセントが放送されている。

駅名などで関西では「そんなアクセントないやろ!」と思うことがある。これはどうも「アクセントの平板化」にあるように思えます。国立国語研究所の資料では東京の言葉を中心に、アクセントの平板化は大きな流れにとなって進行しています。面白い表現として捉えています。記憶の負担や発音の労力を軽減して「コスト削減」「省エネ」でいこうということです。単語ごとに下がり目の位置を覚えなければなりませんが、平板式はその必要がありません。その分だけ発音の労力も減って楽になるということでしょう。(国立国語研究所資料から)

 

平板化することによってそれをもって標準語化するには文化の匂いが感じられないと思っています。

 

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甲子園球場の選手紹介アナウンスについて

北陸放送(本社金沢市)元アナウンス部長の牧野宏氏(加賀市大聖寺出身)は、高校野球甲子園大会での場内アナウンス「四番、センター○○くん」というアクセントは平板そのもの。牧野氏は、甲子園だけではなく石川県大会の場内放送もその流れになっており、〝違和感があるなー〟と聞いたことがあります。専門家のこの一言は、地域によっては馴染まないアクセントの一つかもしれない。

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町史編纂をこの機会にこの大事な文化である方言を残し伝えることは我々の務めではないだろうか。

 

この地域で特徴のある言葉がはずれぬよう、『現代日本語方言大辞典』に掲載されている「全国方言基礎語彙調査項目」を基本に置き、町健康クラブの協力により収録した。(方言研究家 大聖寺 野田 浩編 ―より抜粋)

抜粋した方言の中で、片山津出身の現在県外で生活されている方でも、何かの拍子について出る方言があります。そうした方言を抜粋致します。(各項目で整理分類されてはいますが、馴染みがあったり、生活の中で使っていたりする方言をあげてみました。)

 

【ア】*アイケン(じゃんけん) *アイソムナイ(無味・無愛想な) *アカシモン(なぞなぞ)

   *アガク(あせる) *アタマエタ(頭痛) *アンポンタン(阿保、馬鹿) 

   *イル(得意になる) *イリイリシル(いらいらする)  

   *ウクラシ(嫌らしい)

   *エン、ドブス(溝)  *オシコミ(押し入れ)  

   *オロシ(おそろしい)

【カ】*カイショナシ(不器用者) *カスオコス(ふざける) *ンコナ(丈夫な、手荒い)  

    *クロメンタマ(瞳)  

   *ケツマズク(つまずく)    *ケンケン(ケンパ)片足飛び

   *スカン(気に入らない *コズラニクイ(憎たらしい) *キタネ(不潔な) 

   *ゴットバナ(鼻汁)   *コバス(くすぐる) *コカマシ(こうるさい)   

   *コンモリガ(洋傘)     

【サ】*シタ(しまった) *ヤトコト(その通りだ) 

【タ】*イソナ(ものうい・疲れた) *タケンマ(竹馬)    *ダチカン(駄目だ)     

   *ダテコキ(オシャレな人)     *ダコク(オシャレする)  *ダクサイ(阿呆らしい) 

   *ダンネ・ドモネ(かまわない)

         *テナワン(手に負えぬ)   *デンデンムシ(かたつむり)   

    *ドショボネ(背骨)              

【ナ】 *ナシ(台所)      

【ハ】*ハイ(くやしい)    *ハシカイ(素早い・賢い) *スカッ(めんこ)

   *ハンダイ(食卓)  

   *フルシキ(風呂敷)

【マ】*マルチ(めんこ遊び)  

   *メンドクシェ(みっともない)  

【ヤ】*ンチャナ(汚らしい)

        *~サッシャル(~なさる)    

 

(アクセントについて高く発音される音節に傍線を施しています。)

 

まだまだ沢山ありますが、自然に使われていることがありませんか。言葉(方言)地域の文化と伝統に培われた生活感の表現です。言葉を大切に継承していきたいものです。

 

 

今回は、エライ長文になりました。ホンなら、イナラ(では、さようなら)

 

 

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NHK「想い出宅配便」片山津取材~少年時代のマルチ遊び~

◆タイトル・「想い出宅配便」

◆放送内容・曽根廣雄(片山津温泉出身・作家=山梨県在住)さんの少年時代の思い出のシーン。 

◆放送期日・2010.12~2011.3

   NHK山梨放送ローカル、NHK総合テレビ(再放送1回)、NHK-BS1(再放送2回)

◆取材協力・ I  Love加賀ネット 2010.11.27~29

 

放送された取材の一部 マルチ(めんこ遊び)

 

 

     

                  

 

●同番組と曽根廣雄さんについては 「当会」ホームページ

  ◆事業報告コーナー…2010年11月15日、同11月29日、同12月24日、

               2011年 1月 7日、同2月2日、を夫々ご覧下さい。

 ◆加賀の人シリーズ…曽根廣雄さん特集をご覧下さい。

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2012年6月19日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

第62回 お薬師さんの土俵

 つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

お薬師さんは少年時代の『想い出の宝庫』でした 

 

 

曽根廣雄著『大自然の懐に抱かれて』の「相撲」(111P~119P)に薬師寺広場の中央に大相撲の一行が巡業で興行した時に作られた土俵があった。

確か栃・若時代の始まりの頃で、前田山、東富士、千代の山、鏡里、そして初代の栃錦、若乃花等の活躍で、かなり長い間、その人気は凄いものだった。(後略)

 

 

龍一少年の五人抜きの物語であります。当時、お薬師さんには土俵があり、筆者にとっても思い出深い場所でもあります。

 

 

加賀・江沼郡小学校相撲大会

記憶をさかのぼると、6月の「湯の祭り」に近い頃だったと思いますが、お薬師さんの土俵で加賀・江沼郡小学校の相撲大会がありました。団体戦優勝、個人戦で筆者が優勝の快挙を成し遂げました。強くて評判の高かった他校の子が、勇み足で敗れた幸運もあり、決勝戦は片山津小の同級生対決となり、筆者が勝ち優勝しました。優勝の商品は置物の「鉄兜」でした。贈呈者は当時の衆議院議員辻正信と記してありました。

 

 

伴野 朗著「陽はメコンに沈む」と辻正信

その後しばらくして、ラオスで辻正信は忽然として失踪。未だ解決、解明はされていません。伴野 郎著「陽はメコンに沈む」で辻正信が見え隠れする歴史推理小説を書いています。

ベトコン(南ベトナム軍解放戦線)のゲリラ将軍として辻正信を登場させています。

伴野 朗氏は朝日新聞サイゴン(現ホーチミン)支局長や上海支局長を歴任し、平成元年に朝日新聞社を退社。中国歴史推理小説などで多数の著書があります。1976年に処女作「五十万年の死角」で江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビューした。筆者の最も好きな中国歴史小説家でもあります。(2004年67歳で没す)

 

 

人は様々なところで繋がっている。

 

 

人の繋がりと云うのは、複雑に絡み合いそして過去も未来にも見えないところで結びついていく。不思議なものであります。そのことが「一期一会」の縁なのかもしれないし、その時代に生きてきた証しなのではないかと思ったりもする。

 

 

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           曽根 廣雄さん      イラスト/曽根瑠璃子さん

  

●【資料提供】曽根廣雄氏著「大自然の懐に抱かれて」=創栄出版=より

 

 

 

 2012年6月15日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第61回 「加賀の書家・田島方外」

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

イチローの振り子打法のように

「筆はもっと柔らかく持ちなさい。」「手首に力を入れたらイカンぞ」「整った字を書こうとしたらイカンぞ、自分の字を書きなさい」と言われたことを思い出します。

 

中学時代の書道の先生は、田島方外先生でした。

 

当時の田島先生は、女子バレー部の監督をされていて極めて行動的で、バイタリティのある、今でいえば体育会系の大柄で熱血漢な先生でした。ご自宅は動橋だったと思います。

日展会員など書道界での活躍はご存じの方も多いと思います。

記憶に間違いがなければ、筆の上部を軽く持ち、軽快なタッチで、まるでイチローの振り子打法のように文字を書かれていたように思います。

 

北國新聞社刊 愛蔵版「ふるさと美術館

北國新聞社刊 愛蔵版「ふるさと美術館」(706頁)に掲載されております。

 

加賀市美術館

また、2009年「書に親しむ加賀の墨跡展」加賀市美術館でも出展されております。(先生2005.9月没後)20年程以前に、大阪朝日新聞・朝日カルチャーセンターで田島先生が講座を持たれており訪ねたことがありました。もう少し真面目に先生に師事しておればもっと上達したのにと思っております。

 

加賀市美術館所蔵の田島方外先生の作品を掲載することが出来ました。ご協力感謝申し上げます。

 

「むざんやな兜の下のきりぎりす」芭蕉 (田島方外筆)

昭和63年(1988年)加賀市美岬町 北陸自動車道尼御前前SA下り

 

                  田島先生の俳句

「老いぬれば それはそれでの 恋心」 (自詠 福岡県立美術館)

 

 

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田島方外 秋の歌(加賀市美術館蔵)

        

 

 

 

田島方外 挽歌(加賀市美術館蔵)

 

 

田島方外 懶(加賀市美術館蔵)

 

 

 

 

 

■加賀市美術館 

住所:〒922-0423 石川県加賀市作見町リ1-4
電話:0761-72-8787
FAX:0761-72-8789
Eメール: art-gallery@kagashi-ss.co.jp

ホームページ http://www.kagashi-ss.co.jp/artgallery/

平成24年4月1日より、「加賀アートギャラリー」は「加賀市美術館」に名称が変わりました。

 

●【資料提供】加賀市美術館 

●【協力】 加賀市総合サービス(株)

 

 

 

2012年6月12日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

第60回 「長谷川歌川女と三国・酒饅頭」

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

長谷川歌川女は1716年生。加賀の千代女が1703年生ですから、13歳年下になる。

 

松任のあんころ餅は1732年創業(元文2年)。北前船が繁栄した当時の三国港で酒饅頭が誕生したという。したと云うのは、明確な記録がないからでもあります。北前船が一世を風靡した時代に長谷川歌川女は名だたる花魁であった。

 

元文3年に歌川女は     

 「湯化粧のむらなくとくや雪のめん」

 

楚々としたなかに、華やかさと色香が漂う俳句に感嘆する。

 

 

               

                                           歌仙女・句碑

 

 

三国の酒饅頭の歴史を、酒万寿処「にしさか」のご主人に聴きました。

 

「にしさか」さんは大正10年創業で、それ以前から続いていたお店がなくなりましたので酒饅頭の歴史については、記録的なものは残念ながらありませんとのことでした。

 

越前三国名物、酒饅頭の始まりは、江戸時代に三国湊が北前船の寄港地として日本海交易の重要な拠点となっていた頃です。沖縄より大阪を経由して砂糖などの積み荷を運んできた北前船の船頭達たちが、何日も停泊していた時に地元の人たちに酒饅頭の製法を教えたようです。

 

にしさかさんの話によると三国湊の対岸の三国新保というところが「元祖らしい」とのことでした。(三国新保は新保橋を渡った辺りではないかと。現在は北陸電力火力発電所になっています。)

 

栄華を極めた北前船の豪商たちは、豪商に嫁ぐ花嫁さんを見ようと集まった人達に二階より捲いて振る舞った数は五千個とも一万個とも言われています。

えちぜん鉄道が盛んだった昭和30年代は酒饅頭も飛ぶように売れましたと。芦原温泉の衰退も大きく影響したのではないかと考えられます。

 

 

長谷川歌川女も酒饅頭を食べたのだろうか。

 

 

北前船の豪商や船主が歌川女に手土産に持参したとはどこにも記録はないと思う。重なった歴史の中で、食べたであろうと想像する方が面白い。

加賀の千代女その弟子すえとの交流を考えた時、すえは、松任のあんころ餅を手土産に歌川女は三国の酒饅頭をお返しに贈った。この事実はない。全くの創造の世界の物語である。

 

                   加賀の千代女

 

 

 

「松任のあんころ餅」と「三国の酒饅頭」どちらも餡入りである。

 

 

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     ○■写真提供:にしさか(福井県三国町)同社ホームページより引用*許諾済 

 

 

                  

 

 

      

            ◎関連記事・・・

     No:59 あんころ餅

     No:42 俳人・長谷川歌川女その一

     No:44 俳人・長谷川歌仙女その二  と合わせてご覧下さい。

 

 

 

2012年6月8日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第59回 あんころ餅

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

「松任のあんころ餅と加賀の千代女」

 

「悟、あんころ餅食べようサア」「食べよ、食べよ!」悟は山代温泉、私は片山津温泉で動橋駅まで一緒で通学の帰りに二人で汽車の中であんころ餅を食べた。昭和38年頃の高校生時代もう50年も前のことです。(当時は松任駅で駅弁スタイルで売っていた。)

 

●泉鏡花作 「あんころ餅」

松任の次手なれば、其処に名物を云うべし。餅あり、あんころと云ふ。城下金澤より約三里、第一の建場にて、両側の茶店軒を並べ、件のあんころ餅をひさぐ、、、、伊勢に名高き、赤福餅、草津餅のおなじみ姥ケ餅、相似たる類のものなり。(後略)

松任のあんころ餅は、伊勢の赤福餅に匹敵すると書いている。泉鏡花もあんころ餅が、どうも大好物であったようだ。

 

土用の入りにあんころ餅を食べる。

 

関西や北陸では夏の土用の入りの日に、あんころ餅を食べる風習があり、別名「土用餅」と呼ばれている。鰻を食べると同様に、土用餅を食べて精をつけ、夏の暑さを乗り切るためとされている。

大阪ことば辞典では、あんころ餅は餡を餅で包む。となっているが、松任のあんころ餅は餅を餡で包む。何れも土用の入りにあんころ餅を食べるとなっている。

 

●創業270年の「圓八のあんころ餅」

未だに竹皮の包装に包まれたあんころ餅が大好きである。圓八さんは、元文2年(1732年)創業ですから江戸の中期。華やかな元禄時代から吉宗の緊縮政治、享保の大飢饉と厳しい時代に差しかかっていた頃である。

 

加賀の千代女は1703年、松任の表具師福増屋六兵衛と村井屋つるの長女として生まれた。千代女の居宅と圓八のあんころ餅はいわば隣町のような位置にある。(現在の地図で見ると)

創業まもない圓八に千代女は30歳代ですから、あんころ餅を食べに寄ったり、買い求めたりしたのではないか想像する。想像することは実に楽しいことであります。

 

圓八さんに電話を入れて、「加賀の千代女があんころ餅を買い求めたとの記録はありませんか」と尋ねました。「そうした記録、記述はございません」との返答でした。歴史の中に埋没した結びつきが創造の世界で楽しませてくれます。

 

             ■写真提供:園八(同社ホームページより引用)*許諾済 

 

 

 

 

   「ひるは手に子供もとらぬ蛍かな」千代女  

 

 

 

【 白山市松任「千代女の里 俳句館】

 

次回は長谷川歌川女と三国発祥の酒饅頭です。お楽しみに。

 

 

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 2012年6月5日

                     NPO法人  I  Love加賀ネット

                       事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

第58回 「油揚げ」

 つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

夏場の冷酒の肴に油揚げ?

 

近所に油揚げを製造する会社がある。業務用の油揚げで、小売りをしている訳ではないが、その日のあまり分を午前中の短時間だけ棚に置いてあり、100円を深い皿に入れてもらってくる。店頭に店員がいる訳でもなく、無くなれば終わり。小振りではあるがこれが旨い。生姜に醤油とご飯で満足できる。冷酒の肴に夏場には安価で、少し炙ればよいので、冷やっこの代用には充分である。

 

         

 

 

◆「鳶に油揚」寺田寅彦随筆集より

 

諺に「鳶に油揚げをさらわれる」がある。科学者、寺田寅彦随筆集に「とんびと油揚」を取り上げている。

引用しますととんびに油揚をさらわれるということが、実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上の鼠の死骸等を発見してまっしぐらに飛び降りるというのは事実らしい。

 

                         (中略)

 

 これからは科学者の随筆らしく科学の目で書かれている。ダーウィンの実験にも及んでいる。

 

インドの禿鷹の研究した人の結果によると、この鳥が上空を滑翔するのは,晴天の日地面がようやく熱せられて上昇渦流の始まる時刻から、午後その気流がやむ間だということである。

この上昇気流の速度の最大の所がちょうど地面にあるものの香気、臭気を最も濃厚に含んでいるところに相当するのである。飛んでいるうちに突然強い腐臭に遭遇したとすれば、そこから直ちにダイヴィングを始めて、その臭気の流れを取り外さないようにその同じ流線束をどこまでも追及さえすればいつかは必ず臭気の発源地に到達することが確実であって、もしそれができるならば視覚などはなくても良いわけである。

 

鳶の嗅覚が或いはその代用となる感官の存在を仮定しさえすればすべての問題はかなり明白に解決するが、この仮定が許されないとすれば、全てが神秘の霧に包まれてしまうような気がする。

 

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米国(鳶)と日本(油揚)」の図式

 

米国と日本の関係図式はまさに鳶と油揚の関係であります。コツコツと努力し国益を得ながら、世界第二位の経済大国ともてはやされた日本を、米国国債を買いなさい、金融、保険、自動車の市場開放しなさいと小泉改革で油に突っ込まれて、郵政民営化でたっぷり味付けをして、今度はTPPという醤油と生姜で箸をつけようとしている世界の警察官。この図式は変わらないのだろうか。

 

 

 

2012年6月1日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 




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