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第83回 「隠元禅師・黄檗山萬福寺」

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<当会定款>

 

 

  1654年中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公

  の尊崇を得て、1661年(寛文元年)開創された黄檗宗の大本山です。

 

黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの方式梵唄を継承しています。建造物は中国明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初のまま禅宗伽藍建築で、国の重要文化財に指定されています。

隠元禅師(隠元隆琦)中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をされていました。当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴い1654年に来朝され、宇治の地に中国に自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。

       

                                                   

  

黄檗山萬福寺三門

 

 

 

 

 

隠元禅師像

 

 

大雄宝殿 

 

  隠元禅師は、伽藍建築・文化、美術、印刷、煎茶、普茶料理、隠元豆、西瓜、蓮根、

孟竹(タケノコ)・木魚など当時の江戸時代の文化に大きな影響をもたらしました。

   「黄檗宗萬福寺」と「隠元禅師」については概略お解りいただけたかと思います。

 

隠元禅師が江戸文化のみならず、今日においても日常の生活の中に溶け込んでいることが数多くあることに気がつきます。文化や美術、印刷に煎茶など一つ一つが形成されて行く過程に歴史の面白さや重みがあります。何回かに亘って取り上げていきたいと思っております。 

 

 

徳川四代将軍家綱と隠元禅師と後水尾上皇

 

比叡山の麓に自然環境を取り入れた日本庭園「修学院離宮」と中国明時代の伽藍建築物「黄檗山萬福寺」がほぼ同時期に創建されたところに歴史の意義を見出すことができる。

 

徳川四代将軍家綱と隠元禅師と後水尾上皇

当コラムNO.81回(1)と(2)で修学院離宮を取り上げましたが、修学院離宮は後水尾上皇が徳川四代将軍家綱(徳川幕府)時代の1655年から1659年に造営されました。

1661年、黄檗山萬福寺は後水尾上皇や徳川幕府の崇敬を得て宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り禅寺を創建した。一つの建造物を見ると見落としてしまう、家綱と後水尾上皇、そして隠元禅師の繋がりがあることや、当時、由井正雪の乱、江戸大火などがあったものの江戸幕府として60年が経過し、安定感がでてきた時代だったのではないだろうか。

比叡山の麓に自然環境を取り入れた日本庭園「修学院離宮」と京都・宇治に中国明時代の伽藍建築物「黄檗山萬福寺」がほぼ同時期に創建されたところに歴史の意義を見出すことができる。

そして、繋がる要に徳川四代将軍家綱がおり、その存在感が今大きなものとして感じられる。

 【次回は隠元禅師と上方落語】

 

   

 

修学院離宮 「船着き場」「霞棚」

 

                         ~次回は隠元禅師と上方落語~

 

 

 

 

2012年9月4日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 




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