NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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第91回 日本の二十四節気(もうすぐ立冬)

 

赤とんぼ世間をぐるりと一巡り(敏)

 

花水木の葉が紅つき、小さな赤い種子が鮮やかです。まだ幼くあおい鬼灯が数十個つけて近いうちか、そのうちに大きくなるのではないでしょうか。自然は季節の時期が来れば、どちらかの誰かとは違い、咲き、そして実りを約束してくれます。

 

 花水木

 

金木犀の香りが散歩しているとかなり多くの庭先から漂ってきます。子供の頃二階から眺めると、隣の庭先に柘榴が枝を折らんとするように幾つも垂れ下がっているのを見て、何んとか食べてみたいなと思ったものです。柘榴や鬼灯の季節でもあります。

 

山々はますます紅く染まり、遠く眺める白山も10月24日初冠雪で秋深まるの感があります。季節のが移ろいが暦通りにはいかないのは仕方がないのではないでしょうか。

 

 

開きたる傘に残り香金木犀(敏)

 

 

 

金木犀の香りが漂う

 

日本の気候に合わなかったりするものが多い中国発祥の「二十四節気」を「日本版二十四節気」にと取り組んでいた日本気象協会が方針を転換し、解説作りにとどめることを決めたとのニュース。俳句界や日本語研究者などから寄せられた「歴史的、文化的意義を無視しないで」との反発の声を考慮したようです。

 

二十四節気発祥の地・中国黄河中流域は大陸性気候の日本より早く季節が変わり、同緯度の日本の東北地方とは季節の変化の始まりが半月から一月遅いようです。とはいえ、日本の二十四節気は季節感のずれはあるものの、それなりに定着していると考えます。

 

今年の10月23日は霜降、11月7日は立冬、22日は小雪、12月7日大雪、27日は冬至

1月6日小寒、21日大寒、そして立春。深き秋の季節から冬を超え、そして春がまた巡ってきます。

 

 

凛として夢かなえて菊一輪(敏)

 

歴史や文化にはその土地の慣習や起源があり、人の歴史的重みがあると考えています。

日本人がもっている季節感はそれ故に二十四節気を一年の季節の基準として大切にしていきたいものだと思っています。

 

鶏頭と野菊 

 

 

  

                 柘榴                     

 

抒情詩的感性や、色彩感や、春夏秋冬の気候などが年齢とともに感性の豊かさが増していく。ゆとりや癒しや、やすらぎなどの言葉をより一層のこと大切にしたいものです。

 二十四節気は日本人の生活の中に溶け込んでいる。

 

 

 

2012年10月26日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第90回 片山津の想い出 その3

 

 

●藤井 忠邦 著 「秋本番」

 

つい先月までは暑い、暑いと言っていたのに、10月半ばを過ぎれば朝晩には長袖を通すほどになり、季節の移ろいを感じさせます。

 

さて、秋と言えば、味覚の秋。

今も昔も、秋は秋に変わりはないのですが、私が小学生であった60数年前の片山津での味覚はどうだったろうか。

脳裏に思い浮かぶ代表的なものはサツマイモ、栗、柿とイチジクです。それらについて、断片的ではありますが、印象に残っていることを書きとめてみます。

なにしろ、ずいぶんと昔のことで、一部に認識の違いや事実と異なることもあるかもしれません。半世紀を経ていることでもあり、お許しください。

 

○ サツマイモ

今風でいえばスイートポテトでおしゃれな感じですが、食料事情の厳しかった頃の事ですから、ご飯の代用食として食卓にはなくてはならないものでした。

我家では、お宮さん(片山津神社)の北側の山手の道をのぼりつめたところに、母がわずかな畑地を借り受けて季節の野菜作りをしていました。サツマイモは我家の主食としての位置づけでしたから特に力が入っていたようです。同世代の方なら記憶に残っているでしょうが、サツマイモをご飯の中に炊きこんで増量したり、茎の部分を雑水に使ったりもしました。今にして思えば、「秋の味覚」にはほど遠く、私にとっては味覚の対象と言うよりは、命をつないでくれた「黄金の非常食」というところでしょうか。

 

○栗

 片山津小学校からお宮さん(片山津神社)の裏手は丘陵地の雑木林が続いており、真ん丸なドングリの実をつけるクヌギや栗の木がかなりありました。

栗はほとんどがシバグリと言われる小粒のものでしたが、中には大粒で通称タンバグリと言われるものもありました。これらの栗も貴重な食料でしたから、山中を歩きまわって拾い集め、ポケットをいっぱいにしてから家に帰ったものです。

 

 栗拾いで、今もはっきりとよみがえってくる想い出があります。

 

お宮さんの右手で奥まった所のかなり急な斜面に大きなタンバグリの木があり、子供たちだけでなく、大人もその栗を狙っていたのです。栗の木の幹が大きいうえに足場が悪いため、栗が色づきイガから実がのぞいているのに木をゆすることができず、実が自然に落ちてくるのを待つだけでした。なんとか、あの栗をポケットいっぱいにできないものかと思い続けていたところ、はたと思いついたのが、次の手順でした。

 

     ・栗の実は、風が強い日には木がゆすられてたくさん落ちてくる。

     ・夜の暗いなかでは、栗を拾う人はいないはず。

     ・したがって、風が強い日で、夜明け前なら、栗の木の下に行けばポケットいっぱ

      いに栗の実を拾うことができる。

 

そこで、風の強いある朝、薄暗いうちに家を抜け出し、お宮さんの境内を走り抜けて栗の木の下にたどり着くと、何とも言えないほどの興奮におそわれました。大量の大粒の栗の実が、あたり一面に落ちているではありませんか。ポケットいっぱいに栗の実を詰め込んで、意気揚々と家に戻ったのは言うまでもありません。

 

          毎年、秋になると味覚よりも高揚感、達成感が栗の実の想い出として、

              よみがえってきます。 

 

○柿

片山津時代の我家では、敷地が狭いながらも川べりにはみ出すようにして一本の柿の木がありました。もともとは渋柿でしたが、いつの頃からか一部の柿の一部分が甘くなり、子供心にも不思議な思いでした。おおかたは渋柿だったため、皮をむいて干柿にしたものです。砂糖が手に入りにくかった頃ですから、干柿のうまさはたとえようがないくらいの味覚でした。

 

                                                  

柿の木で思い出すのは、柿の葉の押し寿しです。

 

片山津温泉の湯の祭(6月28日)には、どの家でも子どもたちは母親の作ってくれる押し寿しを楽しみにしていたものです。我家でも母に言いつけられて、柿の木から虫食いのない、つやつやした葉っぱを取るのは、われわれ兄弟の役目でした。

 

 

                                *「柿の木」=撮影/21012.10.20

 

柿の葉の押し寿し、湯の祭に関連して、忘れられない出来事があります。

 

昭和23年6月28日の午後4時13分に発生した福井大地震です。ちょうど湯の祭の子供みこしにハッピ姿で参加していた私は、その瞬間、地面に引き倒され、その場にいた子供たちはもちろん、大人も全員がパニックに陥りました。祭りは中止され、急いで家に戻ると、家は傾き、近所の人たちも次々に起こる余震におびえて、一夜を外で過ごしました。夜になって、余震が続く中で、片山津から50kmも離れた福井市の大火災が赤々と間近に感じられて、大震災の恐ろしさを子供心に刻みつけられた出来事でした。

 

○イチジク

秋の味覚のなかで最も早く出てくるのはイチジクです。

その当時の片山津では、野菜や果物類はそれほど多くの種類が店頭に出回っていたわけではなく、イチジクなどは自宅の庭や隣接する畑に木がある一部の家だけがその味覚を口にできたようです。

我家の玄関のすぐ向かい側には、近所のおばちゃんが熱心に手入れする畑があり、9月になると数本のイチジクの木に赤く熟した大玉の実が目立ってくるのです。物ほしげにしていたのでしょうか、玄関先に来たおばちゃんが「これ、食いねぇね」と言って、毎年いただいていたものです。

 

秋になってイチジクが出始めると、すでに亡きおばちゃんのことが思い出されます。

おばちゃんに感謝。

 

*        *        *

 

【写真】左から

   ○自宅傍にあった片山津神社(図刊かたやまづの歴史から)

   ○片山津小学校の上道(明治末期=写真提供・見附豊子氏)

   ○柴山潟で行われていた風流な網漁(当時の絵はがきから)

                              

           

 

 

 

2012年10月23日

藤井 忠邦

(片山津温泉出身・白山市在住)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤井 忠邦

 

第89回 蕪村公園と蕪村生誕300年

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

第85回に俳画の美「蕪村と月渓展」(11月4日迄、伊丹市・柿衞文庫で開催中)を掲載しましたが、蕪村の生誕の地、大阪・都島毛馬町にある蕪村公園に行ってきました。

 

市民講座「蕪村顕彰俳句大学」開講(NPO法人近畿フォーラム21)が中心事業として、大阪・毛馬町に生誕した俳人与謝蕪村を顕彰する「蕪村公園」が大阪府・大阪市によって造営されました。

 

  与謝蕪村の「春風馬堤曲」

   やぶ入りや浪花を出でて長柄川 

   春風や堤長うして家遠し

 

蕪村が幼時郷里毛馬の堤上で目にした薮入りの娘をモデルとした、蕪村のやるかたない懐旧の実情を託したものだそうです。前年の暮れに最愛の娘くのを縁ずけた後の安堵感と空虚感とが制作に至らしめたと。(岩波文庫「蕪村俳句集」より)

 

 

 

  源八を渡りて梅のあるじかな

 

現在も長柄橋、源八橋は現在も橋として、地名として残っています。毛馬町と云えば、淀川と大川の交差するところで、毛馬の閘門です。

 

                         

 毛馬の閘門

 

水の都大阪は、八百八橋と云われていますが、どうも千橋位あるようです。浪花を出でて大阪市内から渡し船で毛馬村に渡ったようです。その手前に源八橋がありますが、同心町や与力町がありましたが、現在は与力町は町名変更で残っていません。

10月13日~21日、中之島公園でイベントが行われています。

 

蕪村公園は大川縁にあり、すぐそこに毛馬閘門が見える位置にあります。蕪村公園の中に春夏秋冬のゾーンに分けて13基の句碑が建立されております。2016年生誕300年を迎えます。そのいくつかを掲載します。

 

  閻王の口や牡丹を吐かんとす                      

 

  

  芭蕉去りてそののちいまだ年くれず

        

   春の海終日のたりのたりかな

 

 

  菜の花や月は東に日は西に

 

 

  柳散り清水涸れ石処処

 

 

 

*         *        * 

 

       こうした事業の下支えはNPO法人の事業の役割の中心的なものであろうと考えて

       い ます。

       I  Love加賀ネットにおきましても、「柴山潟桜周回廊プロジェクト」 「雪の科学館」

   「歴史・文化・教育」「街づくり推進」、そして 「柴山潟周辺ラムサール条約登録への

    支援など様々な故郷の想いを共有していく為に情報発信していきます。

 

 

2012年10月19日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第88回 ノ-ベル賞受賞の山中教授

 

 

京都大学の山中教授がiPS細胞でノーベル賞を受賞され大きな話題となっています。

 

 これは一旦分化した皮膚などの細胞から、いわば生命のタイムトンネルのように受精卵の状態に逆戻りさせることを可能にしたわけで、驚きとしか言いようがありません。

 

 再生医療と言うと今はこのiPS細胞のことだけの様に思われますが、「骨髄幹細胞」という優れものも日の目が当たるのを待っています。

 

 血液の中には赤血球、白血球、血小板という3系統の細胞がありますが、これは皆骨髄の中にある「骨髄幹細胞」から分化して作られます。言い換えますと骨髄幹細胞は、赤血球にも白血球にも血小板にもなる能力を持っているということです。

 

 これだけでも「骨髄幹細胞」は優れものですが、もっとすごいことができるのです。それは骨髄幹細胞を骨髄から取り出して (これは比較的簡単にできる) それを肝臓が悪い肝硬変の人に点滴すると骨髄幹細胞が肝臓の細胞になってくれて、肝臓が良くなってくるのです。これもすごいと思いませんか?

 

 骨髄幹細胞の話はこれからいかようにも育ちうる子供の教育、「鉄は熱い内に打て」と

 いう言葉のことを思い起こしませんか?

 

 *        *         *

 

ドクター・ズー (福井市四ツ井1丁目22-22)

 

 

                          

                      清水 元茂 院長

   

 ❁医院の周り

 

 

2012年10月16日

ドクター・ズー院長  清水 元茂

   (石川県小松市出身 福井市在住)

 

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(追記)…ドクター・ズー清水院長は肝臓の名医として福井では評判のお医者さん。患者さんの信望も厚く慕われているドクターです。医院はごらんのようなオシャレで玄関周りはいつも季節の花が咲いています。花の手入れは院長夫人・きよみさんで、患者さんへの優しい気持ちが伝わってきます。

 

プライベートではゴルフの自己ベスト76。今でもドライバー飛距離は230ヤード。去る13日に行われた「福井石川県人会ゴルフ」では優勝。その他、自ら野球チームをつくり監督に(チーム名はドクター・ズー)。100チーム余が参加した福井市民野球大会でベスト8の成績を残すなど、ここでも名監督ぶりを発揮。

 

この「コラム」欄にも随時寄稿をお願いしました。(川)

 

 

 

 

 

第87回 秋の大祭

 

東大寺の御水とりと若狭神宮寺の御水送りの神事が春を迎える。

夏祭りが終わり、秋は五穀豊穣の実りと冬の休息に向けて天地に感謝する祭りです。秋の大祭が秋の始まりでありでもあります

 

原田神社

原田神社(大阪府豊中市桜塚)の秋の大祭は、歴史と伝統の重みと生活感を感じる地域のコミュニティに貢献しています。

原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中頃から5世紀末に創建されたとされている。684年天武天皇が神宝・神鏡・御鏡・獅子頭を奉納したことから大宮と称し皇族や武家より厚遇を受けた。1300年以上前のことです。

長い歴史とともに、地域に密着した伝統、慣習、生活基盤や社会生活の根幹が受け継がれて今日まで秋大祭が営まれている。

 

原田神社獅子神事祭

10月1日に神社前の舞台で獅子の舞が行われ、舞には、起舞・臥舞・早舞などがあります。天武12年(684年)悪疫退除のため、獅子頭を奉じて、数百年に亘り各地を回ったと伝えられています。獅子舞の原形であり、原点なのではないかと思っています。

これまで観てきた獅子頭や華やかな部分はありませんし、その伝統を受け継いだ勇壮で歴史の重みをもった獅子頭と風貌でした。

10月2日から8日までは各氏子地区の順に祭りが行われ、筆者の近隣では、子供御輿が廻り、元気な掛け声が響き渡っておりました。祭りの雰囲気や気分に浸り、片山津温泉の「湯の祭り」が遠く記憶として思い出されました。

 

 

 

 

10月9日夕刻、境内で行われる宵宮祭は、各氏子地区より持ち寄られた御輿や氏子たちに囲まれ、大松明の燃え盛る炎の中で獅子頭(「おてんさん」と呼ばれている)が境内せましと舞を舞い、悪疫を追い払うために縦横に駆け巡る。

 

 

    

各氏子地区の御輿、山車、だんじり12基(挺)が境内(拝殿回し)で競い合い、重厚で壮観な情景に感嘆しました。

 

               

          

 

御輿の担ぎ手は若者達が当然としても、50~60人位で担ぎあげないと上がらないくらいの大きなもので先導役や引っ張り役など併せると1基100人を超す集団になります。それを思うと12基で1200人の担ぎ手が必要になります。若者達がこの秋大祭のために参加し、地域の伝統の継承と街の活性化のために頑張れる努力と意識の高いことを感じさせました。

                  

 

また、少子高齢化の時代での子供達の参加も多く、この子達が将来この祭りを継承していくことに実に頼もしく感じたものです。

 

    

 

秋の運動会が始まりました。孫の幼稚園の運動会に行きました。団塊世代の孫ですから少子化減少とはいえ幾らか多い世代なのでしょうが、孫一人に親と両家のじいちゃん、ばあちゃんが二人ずつで、昼休み時間は孫を取り囲んで大騒動です。「内側を走れば勝てる」とか「最後まで息抜かず走れ」とか孫にはプレッシャーが掛かる。子供達も大変です。

 日本の行事、伝統、季節感はその地域の宝物です。そして慣習や伝統の中に「自らの心のおきどころ」を見つけていくのではないでしょうか。故郷の記憶や想い出は心の中にいつも静かに存在するものです              【写真/いずれも筆者撮影】

 

 

 

2012年10月12日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第86回 片山津の想い出 その2

 

  

 ●藤井 忠邦 著 「甦る昔日の夏」

 

片山津を離れて50年、今年6月26日付コラム第65回に続けて再度一筆。

 

太平洋高気圧が日本列島を包み込むように居座り続けたきびしく長かった今年の夏も、秋分の日をさかいにして、ようやく秋の気配が感じられるようになり、日本全体がほっとしているように感じられます。

 

さて、私が小学生で、60数年前の片山津の夏。

 

子供心にも大変暑かったとの記憶が残っています。エアコンはもちろん、我家では扇風機もなく、ひたすらウチワでパタパタあおぐか手拭(てぬぐい)で汗をふくしかありませんでした。あたりは水辺だらけで蚊が多く、夜はきまって蚊帳(かや)をつるすのですが、それが一層暑さを増幅するのです。寝苦しい夜には、母がいつも横に座ってわれわれ兄弟をウチワであおいでくれた記憶があります。亡き母に感謝。

 

一方で、夏休みは今も昔も子供にとっては楽しみが多い時節であり、ひたすら外で遊ぶことに集中していたように思います。乗り物や子供用の自転車がまだない昔の田舎でのことですから行動半径は狭く、自然を相手の単純な遊びしかありません。近くのお宮さん(片山津神社)での三角ベース(簡易式の野球遊び)や陣取りゲーム、けんけんぱ、潟(柴山潟)やその水路での魚釣り、小川での水浴び、魚の手づかみが主なものです。

 

特に、日中の暑さをしのぐためには裸になっての川遊びが最高だったと記憶しています。前回の65回コラムで書きましたように、我家のすぐ横には小川が流れていました。片山津小学校裏の山手から流れ出て柴山潟に流れ込む川幅2mほどの小川は、環境に敏感なメダカをはじめ多種類の淡水魚やミズスマシなどの水棲動物、水草や藻など多様な植物も生息していました。まだ農薬などの化学物質が使われていなかったことから昔のままの生態系が維持されてきたせいでしょう。

    

 

     

           【当時の風景】                    【片山津神社】 

              *【図説】片山津の歴史より      *撮影/2012.10.06 <I Love加賀ネット>

 

当然のように、夏になれば、男の子はフリチン(すっぽんぽんのこと)で川遊びに興じたものです。海水浴場のある橋立までは少し距離があることから、小川での川遊びは片山津温泉の中心部に住む子供たちにとっても人気スポットのひとつだったようです。

 

川遊びの中でも、魚の手づかみは最大の楽しみであり、時を忘れて日が落ちるころまで川を走り回っていました。フナ、ウグイ、タナゴ、ナマズ、ドジョウ、ゴリなど子供たちの川での戦利品は、当時の食糧事情のことですから、すべて無駄なく晩ご飯のおかずになったはずです。

 

 

 【ゴリの焼き物】 =越前焼=

~本物のゴリは顔がまん丸で耳が大きい愛嬌ある小魚です~ 

                 

最後に、子供たちを夢中にさせた魚取りにまつわる小話を一つ。

 

友達の一人が夕暮れになり帰ろうとして、川べりの草むらに脱ぎ捨てておいたパンツが見つからない、素っ裸のままでは「かあちゃんにしかられるウウウ・・」と大声で泣き叫ぶ友達。何事かと声を聞きつけて飛んできた私の母がそのパンツをさがしてくれてことなきを得ました。

 

60年以上も前のことですから、当の本人はすでに記憶にないと思いますが、その彼も、今は立派な会社経営者として社会に貢献しています。

 

 

2012.10.05

藤井 忠邦

(加賀市片山津温泉出身・白山市在住)

 

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併記

 藤井 忠邦さんの弟、忠昭さんの「作文」 ″靖国神社参拝記„

昭和29年<1954>3月号、片山津小学校卒業時に寄稿されていた文集「ほたる」。

古い日誌の中からの抜粋のため、読みにくい個所がありますが、ナント半世紀以上も昔にタイムスリップです =<この項川口>=

 

  

    片山津小学校創立80周年 昭和29年<1954>3月3日 *同校発行誌より

 

 

    

                                                                                                                                                          

 

 

 

 

 

 

 




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