NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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「I Love加賀ネット」ブログ随時更新中です。

第103回 平成24年大晦日

~柴山潟・白山~

【撮影/潮津 保 =北國写真連盟理事】

 

押し迫った12月に入り、中村勘三郎さん(歌舞伎界の大看板)12月5日、小沢昭一さん(民衆芸能やラジオ「小沢昭一的こころ」1万410回放送)12月10日、米長邦雄さん(日本将棋連盟会長、永世棋聖、北陸先端科学技術大学院特任教授)12月18日、その道のプロの中のプロが亡くなった。(合掌)

 

小沢昭一さんのこと

小沢昭一さんは、変哲の俳号で句作を楽しんだ。「俳句で綴る 変哲半生記」は12月24日

発売で、小沢さんの遺稿となってしまいました。小沢昭一的「新宿末広亭十夜」は可笑しくて、洒脱で、大衆芸を愛するその道のプロであることを感じさせてくれました。

映画今村昌平監督の「エロ事師たち・人類学入門」などは小沢昭一さんしかできない演技(というより芸)でありました。

大道芸や露天商、見世物小屋などの記録や名もない人々が放浪しながら、食べていくための「地べたの芸」等研究者としての業績に朝日賞が贈られた。(朝日新聞「天声人語」より)

東京やなぎ句会(主宰入船亭扇橋、柳家小三治、江國滋、大西信行、三田純一、桂米朝、永井啓夫、矢野誠一、永六輔、神吉拓郎、小沢昭一、加藤武他)永六輔さんや桂米朝さんらと楽しんだという。桂米朝著「桂米朝句集」の中にも触れております。句会は楽しくわいわいとやる方が良いのではないかと思います。

 

  「手の中の散歩の土産てんとう虫」 変哲

  永六輔さんがラジオで紹介された 「退院の一歩一歩の落ち葉踏む」 変哲

  「うちの子でない子がいてる昼寝覚め」 桂米朝

 

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それぞれの大晦日

今年も友人宅で餅つき大会に孫と出かけた。今年も一石をついたようだ。(一石は10斗、100升、大人一人の一年間分の単位として換算)30日は友人宅の恒例行事となっている。

 

     

                                    

     

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年末の大阪梅田

   

阪急百貨店がグランドオープンされた年末。食料品売り場は長蛇の列。忙しなさがなんとなく伝わってきます。毎年ショーウィンドウには雪が降る。年末年始は生花で正月を飾る。

阪急百貨店の門松が豪華で立派なものであります。

【モチつき・大阪梅田 撮影/筆者撮影】

 

 

松井秀喜の引退

熱烈な松井フアンの筆者にとっての引退会見は辛い出来事でありましたが、松井秀喜の「プロの道を退くことの潔さ」に感服せざるを得ない。人として、男として、プロとしての決断する勇気は流石である。ヤンキースとの「一日契約」でヤンキースを退団することになるヤンキース球団の粋な計らいにも拍手を送りたい。

これも松井秀喜の徳のある人格者であるからにほかならない。「松井監督」で日本球界をリードして欲しいと願っている。

日本プロ野球を松井秀喜がメジャーに行って以来TV観戦をしたことがなかったが、監督で復帰すれば再度観戦しようと思っている。

見苦しい国会の政争と無責任さに呆れ果て、自己保身のための言い訳と、嘘の連続では国民の信頼を得ることはできないのは最もであり、大勝した自民党には反面教師として国民の信頼得る政治をお願いしたい。それが道である。

 

自ら進んでいく道は自分でしか決められない。この年齢になっても迷いながらも日々の進むべき道を探索していく。プロの道を歩んできた前述の人たちの偉大さが殊のほか大きく感じる。この一年を振り返ると様々な事に挑戦しながら跳ね返されたり、認めてもらったりの繰り返しでありました。一筋縄ではいかないことも多く、道を極めることは大変なことであり苦労がつきものである。だからこそプロとして成り立つのではないでしょうか。

 

●松井秀喜ベースボールスタジアムホームページのアドレスは⇒www.hideki.co.jp/

 

 

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中谷宇吉郎 雪の科学館 【建設(設計)磯崎 新】

                ~朝日と中谷宇吉郎 雪の科学館~

               (撮影/潮津 保 北國写真連盟理事)

 

 

一年一年が重くなってきている年齢になり、充実した緊張感のある日々にしなければと思っています。巳年は植物が種子が出来始める時期、開花も間近である。

平成25年(2013年)もご愛顧頂きますようお願い申し上げます。

 

 

 

 

2012年12月31日

 NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

 

 

 

第102回 義仲寺と芭蕉と篠原の合戦

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

 

義仲寺(大津市馬場町1丁目 近江・膳所)は旧東海道に沿ってある。古くは粟津ケ原といい、琵琶湖に面した景勝の地であり、木曽義仲公の墓所です。この義仲寺をこよなく愛し、芭蕉翁がしきりに来訪し宿舎とした。

 

元禄七年(1694年)10月12日、芭蕉翁は大坂の旅窓で逝去、「骸は木曽塚に送るべし」の遺言で、木曽義仲公と芭蕉翁の墓は並んで建てられている。  

 

 

 

 

 芭蕉翁

 

 

 

                                                                                         義仲寺三門                         芭蕉翁墓   

 

 

義仲寺の(執事 永井輝雄さんが案内・説明)ご説明していただきました。

 

 
木曽義仲といえば、信濃から倶利伽羅峠、篠原の合戦と平氏討伐の挙兵で、平氏の大軍を討ち破り京都に入のですが、その大勝負は篠原の合戦であったと思われます。その合戦で斎藤別当実盛は大敗した。打ち取った首を洗ったところ、黒髪が白髪になったと。それはまさに斎藤別当実盛その人だった。源平橋のそばにある「首洗池」である。I Love加賀ネット、当地の歴史であります。
 

 

「むざんやな甲の下のきりぎりす」 芭蕉(おくの細道)

 

 

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            首洗池 :石川県加賀市手塚町

 

 

*             *             *

 

 

おくの細道では、奥州藤原三代にわたり栄枯盛衰の平泉。源義経の悲劇の舞台、平泉で
「夏草や兵ものどもが夢の跡」と詠む。
悲劇の主人公義経の霊を慰めることが、みちのくの旅の最大目的であったという。

 

 

木曽義仲は北陸路を京都に入る。翌元暦元年、鎌倉の源頼朝の命を受けた範頼、義経の軍勢と戦い、近江の粟津ケ原で討死する。ここで悲劇は終わらない。義仲を討った義経が、今度は頼朝によって追われる身となり、奥州平泉の藤原氏に逃亡することになるのだが、またしても北陸路を通る。そして有名な安宅の関、冨樫左右衛門泰家と弁慶の「勧進帳」の場面となるわけです。

 

 

木曽義仲の側室巴御前の塚(巴塚)は、義仲の墓に並んでいる。
おくの細道は芭蕉にとって、源 義経、木曽義仲の悲劇のヒーローの鎮魂の旅でもあった。
   

 

 芭蕉翁の墓
元禄七年(1694年)10月12日、芭蕉翁は大坂の旅窓で逝去五十一歳。「骸は木曽塚に送るべし」の遺言に従い、遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、其角、去来、正秀ら門人十人、遺骸を守り、淀川を上り京・伏見に至り十三日、義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。

 

                                                                                           

          

               木曽義仲公墓                    旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 

 

 

                            

 翁堂

 

 

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」又玄
辞世の句 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
歴史が語ってくれる人間模様は、ともすれば忘れがちになります。それぞれの時代に刻まれた人の苦難や又繁栄を見ることができます。歴史を振り返ることによって、今どう生きていくべきかを見出す指針になるような気がします。進化の激しい時代といえども、人間の本質は変わらないと思っています。

【写真:筆者撮影】

 

 

 

2012年12月18日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

第101回 懐かしの昭和映画を観て

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

 大寒気団が日本列島を覆い、日本海側に雪を降らせ、太平洋側も真冬並みの寒さに

 なっている。重苦しく、厳しい寒さが本格化する。

 

 

     水鳥も見えぬ江わたる寒さ哉     蕪村

     寄波の一夜どまりのやうすごほり  長谷川歌川女

 

 

ヤフー無料動画Gyaoを見ると、昭和映画が多くあり、懐かしくもあります。

特に、勝新太郎、田宮二郎の「悪名」シリーズ、勝新太郎、田村高廣の「兵隊やくざ」、勝新太郎「座頭市」シリーズと楽しむことができる。

 

「悪名」シリーズは原作 今 東光、「兵隊やくざ」原作 有馬頼義 「座頭市」の原作は子母沢寛。原作の骨格が確りしていることもあり、映画化することでも面白さが、勝新太郎のキャラクターで倍増していると思っている。

共通していることは、「弱者を助け、組織暴力に立ち向かう」というところにある。

座頭市は別として、頑健な体で武器を持たずに戦うところである。義理と人情もろく、不条理に立ち向かっていく庶民の心を掴んでいたのではないかと思う。

 

 シリーズ「悪名無敵」は1965年(47年前に)勝新太郎、田宮二郎、藤村志保、八千

 出演で片山津温泉でロケをしたものです。1965年9月に北陸鉄道片山津線が廃線と

 つ年です。

 

 

【写真 / 30年頃・北陸鉄道 片山津停車場⇒動橋へ出発した電車】

=図説 かたやまづの歴史より=

 

片山津-動橋線電車 (たまたまこの「悪名無敵」を観ていて、動橋駅が撮され、勝新がバスで片山津に向かっているシーンがありますが、この時既に電車は廃線となっていたわけです。

 

片山津温泉「あらや」で撮影したもので吃驚いたしました。(47年前といえば大学生の頃で片山津にはいなかったこともあり、全く知る由もありませんでした。)柴山潟にモーターボートが走り、柴山潟の風景が撮影されていました。

撮影シーンで、中学生の頃、友人や兄とキャッチボールなどをしていた路地が、喧嘩シーンで映し出されて、昔の我が家が一瞬撮されていたのには更に驚きました。何度も何度もそのシーンを見て、50年前のことを思い起こしておりました。人の記憶はこうしたシーンから蘇らせるのだと感じています。

 

 

 【写真/昭和30年代の片山津温泉 「柴山潟」 の情緒 ~屋形船・モーターボート~

~当時の観光案内より~

 

昭和の良き時代を描いており、希薄になった義理や人情を大切にしなければダメなん

 だと思わせる映画でした。

 

「兵隊やくざ」もそうですが、軍隊という組織に立ち向かう破天荒な人物像を描きながら、戦争や軍組織を否定したものであり、人間らしく生きるための根幹を問うものだと思っています。戦後20年、高度経済成長期の入口の、貧困と物資不足の時代から脱却し、明日の希望と、生きるために国民が一生懸命に生きてきた50年ではなかっただろうか。

 

 

 

2012年12月11日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第 100回 心より感謝を込めて100回目

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

自然環境の保全を図る活動 I  Love加賀ネット

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

        昨年11月からスタートして、100回目を迎えることになりました。

        ご愛読頂きまして感謝申し上げます。

 

毎週火曜・金曜の2回掲載1年48週間で96回に到達する。思えば、連載を続けていく忍耐力は我ながら相当なものだと思っています。またこの間に毎週発行する別物48回を書いておりました。正業としていない唯単に書く事が好きな素人ですから、読みにくい文章や、理解できないことなど反省すべきことは多々ありますが、ご容赦頂ければと思っています。

福岡・柳川市、四国・四万十市、京都市、若狭・小浜市、石川県もとより加賀市を始めとし、行政の皆様のご支援をいただきました。また、美術館、公益財団等、収蔵の貴重な資料写真を快く許諾いただき感謝申し上げます。

また、民間企業におきましても快諾いただき且つ様々にまつわる話を聞かせていただきました。できる限り現地取材を通して書いたものです。当会の会員の方々にもお願い致しました。

 

【誠にありがとうございました】

 

 柴山潟~白山の夜明け 

【写真/潮津 保=北國写真連盟理事=】

 

=掲載記事抜粋=

NO  5 「レディ・カガ」

NO  7 「金沢競馬場」吉原騎手写真提供

NO20 KAGA旅・まちネット「那谷寺」写真提供 ㈱加賀市観光交流機構

NO20 伊丹酒製造元「大和田屋」ラベル写真 山口高正氏

NO21 「橋立北前船」写真提供 ㈱加賀市観光交流機構

NO23 「全昌寺と長流亭」写真提供 大聖寺観光協会 

NO27 「柳川の雛祭りさげもん」 柳川市観光協会、 NPO法人 歴町センター大聖寺

NO28 「あんぱん」 羽咋市 ケーキ・ホームベーカリーモリモト

NO29 「花菜」 社団法人京ふるさと産品協会「さいさい京野菜倶楽部」

NO35 「若狭のお水送り」写真提供 福井県小浜市役所、神宮寺

NO42 「長谷川歌川女」 三國龍翔館

NO59 「松任のあんころ餅」圓八

NO60 「歌川女と三國酒饅頭」にしさか

NO61 「加賀の書家・田島方外」加賀市美術館・加賀市総合サービス㈱

NO64 「加賀の柿の葉寿司」写真提供 石川県健康福祉部健康促進課

NO67 「蕪村の眠る金福寺」NO82資料写真提供 金福寺

NO78 「上島鬼貫と柿衞文庫」資料提供 公益財団法人柿衞文庫

NO79 「加賀、越前の三大女性俳人」資料提供 公益財団法人柿衞文庫

NO84 「絶滅危惧種トモエガモとラムサール条約登録」写真提供 日本野鳥の会

         加賀市片野鴨池観察館 潮津 保氏(北国写真連盟理事)

NO85 「蕪村と月渓」 資料提供 公益財団法人柿衞文庫

NO96 「仮名手本忠臣蔵」資料写真提供 国立文楽劇場

NO97 「深田久弥 山の文化館」写真提供 加賀市大聖寺

NO98 四万十川・岩間沈下橋 写真提供 四万十市役所

【児童文学】曽根広雄著 「大自然の懐に抱かれて」

      NHK山梨放送局

【写真提供】中村愛都美氏、東 亜沙美氏

【絵画】長谷川 清氏(一水会会員、日展会友)

【資料】図説かたやまづの歴史 片山津町:かたやまづ歴史編集委員会

【新聞記事】北國新聞、読売新聞、産経新聞

【協力】中谷宇吉郎 雪の科学館

 

 

中谷宇吉郎 雪の科学館

【写真/潮津 保 =北國写真連盟理事=)

 

 何をおいても「柴山潟桜周回廊プロジェクト」を入れなければなりません。

 

      

 北國新聞より

 

*         *         *

 

「柴山潟桜周回廊プロジェクト」と「柴山潟のラムサール条約登録」は密接な関係にあります。自然環境美化・保全、ふるさと片山津・柴山潟の想いが詰まっています。100回を書くに当たり、毎回のタイトルは異なっていても、NPO法人I Love加賀ネットの役割とは、を問い続けていきます。そして、どうすれば集客やまちづくりに貢献できるか、歴史や文化、教育を通して若い人たちの将来につなげていくことができるが、このコラムの基本であり、根底であります。

 

  

  加賀市 片野鴨池観察館の池

【撮影/筆者】

 

 

こうして、一年間の短い期間においてでも様々な人々のご協力をや支援をいただきながら大きな広がりを見出すことができました。人の「絆」が繋がって更に信頼につながることを心から願っています。

 

節目の100回となりなりましたが、今後も様々なテーマを書き続けていくつもですが、その回ごとではなく、連鎖的な流れの中で方向性や行動を見ていければ幸甚とっております。

 

 

                                      

  2012年12月4日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 




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