NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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第132回 最近こんなことありませんでしたか。

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

「一つやれば、一つ忘れる。」

ピー、ピー、ピー何の音か? 冷蔵庫の扉が開いたままである。

喧しいピーの音が鳴って、扉が空いていると知らせるのだろうが、自分が開けたことも忘れている。

 

「煙草自動販売機で煙草をとって釣銭忘れる。」

「お釣りが多過ぎる。」自動販売機には購入時間、商品名、釣銭などのデータが残されている。電話で「煙草の釣銭忘れているよ!」と知らせてくれた。「○○と△△を購入して、その時間帯からすると、あなたしかいないと連絡しました」知り合いの店主とお客の関係であるから、そのことが成り立つ。アメリカで40万ドルを拾って届け出をしたホームレスが

話題になっていますが、正直であることは、人にとって爽やかさで、心が豊かになる。

その時のことを思い返すと、談笑しながら自動販売機に向き合い、声をかけられた時に、瞬間、煙草を取って、釣銭は忘却している。手の行き場所と、会話と二つのことをすると一つは忘れる。

 

「切符を買う時に釣銭忘れる。」

これも時々あります。駅に着いて、「切符が出ない」駅員に「なんで切符が出ないのだ」

駅員は「何処まで買われました」「梅田まで。」駅員「それでいいんです」「?」。

 

「コンビニで物を買って、嫁さんに頼まれたものを忘れ、怒られる。」

出来る限りメモに認めているが、出がけに嫁さんに「××買ってきて」「OKよ。」

と言っていたのに、忘れてしまう。途中で思い出して「ま、良いか。」と思いきや、そうは

いかない。嫁さんの怖い顔はすぐに思い出すから、引き返す。

 

「競馬場で、釣銭をとって、馬券を取り忘れる。」

これほど悔しいものはない。「馬券がない」振り返った時には既に誰かにもち去れている。

「しまった!」お札と小銭と馬券の三つをしなければならないので、厄介だ。人がいる窓口だとこうしたことにはならないので、窓口で買うようにする。

「的中してくれ」が当たり前で、「馬券外れてくれ」と願ったのはこんな時くらいである。万馬券狙いの馬券であるから当然ではあるが。

 

 

「指をさしながら、確認する」

玄関ドアを閉めて、指を差し「OK」、ふと、「電気消したかな?」また、ドアを開けて確認の為に部屋に入る。「やっぱり消しているわ。」再度,玄関ドアを閉めて「OK」

何度も同じ行動をし、確認する心配性の人を見かけることがある。確認の指を差し、OKと思いながらも、心配の種が起こってくる。年のせいだけではなく、性格による所もあるかと。

 

「送信したと思いこみ、添付の忘れ」

送信したと思い込み、していなかったり、送信トレイに残っていたりすることがある。

確認の電話を入れるのならば、電話で先に用件を済ますことができるはず。(うむ、、、。)

添付忘れはよくある話で、BCCで発信で、名前を削除し忘れなどはビジネス上では始末書もんです。思い込みは方々しないようにご注意あれ。

 

筆者など凡人は、一つやると一つ忘れることが多いし、二つ、三つのことが出来ない。

若かりし頃は、何でも簡単にこなせたことでも、今は無理な状況なのでしょうか。

集中して取り組むことがあれば、他のことは無視するか、端から遣らないことではないでしょうか。考えが及んでも、行動できないのは歳のせいかもしれないと割り切ることではないでしょうか。

どだい、こうしてキーボードを叩くスピードが極端に遅くなったり、ゲームでは瞬間の判断がつかず、機械が勝手に作動することが多くなり、スマートフォンができなかったり、スピードは遅くなるのは止もうえない。

 

熟考して正しい判断をする経験則を持ち合わせていることが、大事なことだと納得はしているのだが。

 

 

 

2013年9月24日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第131回 梶 曲阜(照顔斎)と孔子(論語を読む(5))

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

梶曲阜(照顔斎)と孔子の繋がりとは

梶 曲阜寛政11年(1799年~1874年)明治7年 77歳没。梶氏。通称大和田屋金兵衛。  別号 照顔斎。若年より俳諧にいそしみ、二条家より官服御免許を拝受、幕末の伊丹俳壇の指導者となると共に、松島への旅等を通じて他郷の俳人達と盛んに交流した。                                                         

特に上島鬼貫の顕彰に尽力した。伊丹の歴史家であり「有岡古続語」の作者である。父金兵衛は屋号「大和田屋」。その長男の曲阜も大和田屋金兵衛と称し有力酒造家、山口平右衛門(俳号・太乙)の別家。曲阜は上島鬼貫を慕い伊丹やその近郊に七基の句碑を建立した。

(公益財団法人柿衞文庫 今井美紀館長「伊丹幕末の俳人・郷土史家 梶曲阜」より抜粋

 

                        ≪酒名・壺≫

「伊丹の酒蔵・大和田屋商標」の一つ

 

「伊丹の酒蔵・大和田屋商標」の一つ

 

 「戴きてそのかげ廣し月の松」 曲阜

 

呉子(呉起)

中国・戦国時代初期の最強の軍事的天才、呉子(呉起)は、初めての戦いで七千の魯軍を率いて斉軍三万を撃破し、魏に仕えては、西河を挟んで強国・秦と76回戦い64勝し、後は互角で一度も負けなかった将軍。紀元前400年前のことである。(伴野 朗著「呉子起つ」より)

呉起が門をたたいたのは、孔子の高弟、曾子である。曾子の本名は曾参、字は子輿。

孝は徳の本、教えによって生ずるところあり、民の本教ともいわれ、道徳の根本である。

「孝」を行うの方法は、主観的には「忠」、客観的には「礼」であるとする。孔子の孫、孔伋によって受け継がれていく。曾子の先生は孔子である。

孔子の生まれ故郷は、魯の都「曲阜」である。(曲阜市は中華人民共和国山東省済寧市、1994年ユネスコの世界遺産に登録)

 

 

「梶 曲阜」(照顔斎)は何故「曲阜」と名前を付けたのだろうか。

「曲阜」の由来を、子孫である山口高正氏(当会桜プロジェクト会員)に聞いてみました。

「伯耆(鳥取県)の杜城に師事し、杜城に孔子のことを学んだと推測出来ます。伊丹には漢学者も訪れていたのでその影響かもしれません」と。記述、記録としてはのこっていないようであるが、「孔子の生誕地、曲阜」を名前の由来と考えるに問題はなさそうである。

照顔斎は、上島鬼貫の鬼面、と紀貫之(平安時代の「古今和歌集」選者。三十六歌仙のひとり。「土佐日記」)を意識した名前の由来だとしたら、鬼貫(面)を慕った照顔斎は、照顔と鬼貫の名前の由来を意識して付けたという私説も間違いではなさそうである。孔子を師と仰ぎ孔子の生誕地、曲阜を名前と考えたとしても何ら不思議でない。

 

 

論語を読む(5) 

(学而第一)

曾子曰、吾日三省吾身。為人謀而不忠乎、與朋友交而不信乎、傳不習乎。

曾子曰く、吾、日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳ふるか。

 

曾子いう、自分は毎日、自分の行ったことについて、何回となく反省する。その反省の事項は、第一に、人の相談相手となって考え計ってやる際に誠心を尽くさなかったのではないか、第二に朋友と交わっている際に信義を尽くさなかったのではないか、第三に、充分の実習もなくて、我がものとなりきっておらないものを、口先だけで人に伝え教えなかったかという、三点である。

 

歴史は推理と想像と創造の世界である。歴史から学び、人が繋がっていることの不思議さや、歴史と現在を縦横に交差する人の縁が、堪らなく面白い。

 

                                                                                                                                             

2013年9月17日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第130回 「能舞台」と「上島鬼貫」と「照顔斎」

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

「能舞台」と「上島鬼貫」と「照顔斎」

 

「能舞台」
服部住吉神社境内ある「能舞台」は大阪府下最古のもので、最初は大阪博物館に建立され、昭和2年(1927年)大阪天満宮に移築されたものが、昭和56年に服部住吉神社に再移築された。

例年8月に薪能を始め、回能や狂言が催されると紹介されている。しかし、宮司の話では、残念ながらこの8年間程薪能は行われていないとか。

写真でご覧のように、元々あった樹木をそのまま生かし移築したもので、苔に覆われた樹木を大切にした配慮が感じられる。

歴史ある能舞台での狂言を披露してもらいたいものである。

      

       1)服部住吉神社舞台

「服部住吉神社能舞台」

 

              2-1)「能舞台」      2-2)「能舞台

「能舞台」

 

 

*             *             *

謡曲「敷地物狂」
加賀市大聖寺敷地にある「菅生石部(すごういそべ)神社」境内の舞台で、室町時代に一度途切れたこの作品を、能楽師大槻文蔵氏によって復曲され、上演されている。

大聖寺・敷地 (しきぢ) にある 「菅生石部 (すごういそべ) 神社」 の境内がその舞台で、室町時代に一度途切れたこの作品を、能楽師大槻文蔵氏によって復曲され、2013年9月29日(日)に上演予定。

 

加賀の国・大聖寺菅生 (すごう) の少年が12歳の時、父母の元に書き置きを残し出家、比叡山へ。修行を積んだ少年は僧となって菅生へ帰郷するが、そこには家も両親の姿も無かった。しかし、悲しみの僧が説法を行っているその場に哀れな母の姿があった。

再び比叡山へ戻った息子を追い、母は女人禁制の高野山に男装して入り、肌身放さず持ち歩いていた薦 (こも) を捧げると、その中に少年が菅生を後にした時に書き置きをした「文」があった。
(2011年12月23日事務局コラムNO12 謡曲「敷地物狂」を紹介している)。

 

  謡曲・敷地物狂い      菅生石部神社(大正7年1918)t 

敷地物狂い(告知チラシより)      菅生石部神社(大正7年1918撮影)…【写真提供・

                         福井市 大井信夫氏】

*             *             *

 

 

 「上島鬼貫」と「照顔斎」
服部住吉神社より、200m程西に国道176号線沿いに「服部天神宮」がある。菅原道真が延喜元年(901年)大宰府に左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくり、平癒を祈念した所健康を取り戻し赴任したとの言い伝えから「足の神様」として有名である。
境内には入ると、右手奥に「上島鬼貫句碑」があります。裏面は梶 曲阜(照顔斎)

 

 3)鬼貫句碑 4)照顔斎 句碑(裏)

      (表)上島鬼貫句碑」               (裏)照顔斎曲阜

 

  (表)上島鬼貫
  大舜 「賃とらで象も田をかへす動哉」 鬼貫

 

  (裏) 花七日 人は夜を寝る ゆとりかな
  まちし気の 空へほどけし 時鳥
  澄めば猫 月と分かるる 光哉
  安々と へらす煙や 雪の里
  糸海 照顔斎曲阜 慶応三年亥冬建立

 

梶 曲阜(照顔斎)は、伊丹の歴史家であり「有岡古続語」の作者である。父金兵衛は屋号「大和田屋」その長男の曲阜も大和田屋金兵衛と称し有力酒造家、山口平右衛門(俳号・太乙)の別家。曲阜は上島鬼貫を慕い伊丹やその近郊に七基の句碑を建立した。

 

「鳥ハ未口も ほとけす初桜」 猪名野神社(伊丹市)
NO78「上島鬼貫と柿衞文庫」で紹介しております。

 

芭蕉―鬼貫―蕪村 鬼貫―岡田酒人―糠人―柿衛 山口太乙、梶 曲阜

 

不思議な繋がり、縁があり身近に山口太乙、梶 曲阜一族の 流れを組む山口高正氏(当会柴山潟桜周回廊桜プロジェクト会員)の存在が大きく影響しています。鬼貫、芭蕉、蕪村に繋がっていくのですから面白いものです。いろんなところで繋がっていくことの縁に歴史の深みと広がりを感じております。

 

ほんの身近なところに歴史があります。 このところの豪雨が、稀に見る酷暑を嘘のように影をひそめさせ、草花、虫の声、爽やかな風が少しづつ秋の気配を感じさせる。歴史を紐とき、自然環境を大切にしながら、日本の最も美しい季節 「秋」を味わってみては如何でしょうか。

【服部住吉神社関連 撮影/いずれも筆者】

 

 

 

2013年9月10日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 




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