NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
> top     > ブログ

「I Love加賀ネット」ブログ随時更新中です。

第152回 「むべなるかな」

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

立冬(七十二候  初侯 山茶始開 つばきの花が咲き始める。次候 地始凍 大地が凍り始める  末候 金盞香 水仙の花が咲く)11月22日は小雪(七十二候 初侯 虹蔵不見 虹を見かけなくなる  次候 朔風払葉 北風が木の葉を払いのける 末候 橘始黄 橘の葉が黄葉し始める)23日は勤労感謝の日は晴れの特異日です。

 

大阪大学歯学部病院に行くまでの公園に、榠樝(かりん)の大きな実が黄色く熟していた。

その榠樝(かりん)の木は二本ほどで、公園の道路沿いには、銀杏の木が並んで真黄色の鮮やかさを見せていた。春には花が咲き、秋には実を結ぶ。自然は美しい。

 

小学上級生は当時、鞍掛山が遠足だった記憶がある。(標高478M、北前船がこの山を目印にしたことから別名「船見山」といわれ、富士写ヶ岳、大日山と加南三山として知られている。―「まるごと・こまつ・旅ナビより」)60年も前のことなので記憶は定かではないが、通草(あけび)の実、山茱萸(グミ、秋グミ)などがあったと記憶している。

 

片山津のお薬師さんの脇から展望台に行きつくとそこは桑の実があった。さほどこうした秋の果物は珍しくはなかったのだが、最近では柘榴の実や通草(あけび)を口にすることは殆どなかった。ましてや、郁子(むべ)の実を初めて食する機会に恵まれた。

[郁子(むべ)はアケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物]

 

DSCF6580

 

天智天皇のひと言が語源とされている「むべなるかな(如何にももっともであるなあ。)」

滋賀県近江八幡市の北津田町に古い伝説として残っている。

蒲生野に狩りに出かけたてん智天皇がこのちで八人の男子をもつ老夫婦に出会った。「汝ら如何に斯く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で獲れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋に食すると答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心し、「斯くのごとき霊果は例年貢進せよ」と命じたという。

【―日本経済新聞2004.2.13より ネットより引用】

 

DSCF6582

 

「むべなるかな」の言葉として、意味も理解はしていたのだが、何故知っていたのかはわからない。通草(あけび)は食したことがあったが、郁子(むべ)は初めてで、甘いが種が多くて食べずらいものである。

柘榴、無花果、胡桃、茱萸、金柑、檸檬、棗、通草、郁子、榠樝、銀杏、団栗、栃の実

実りの秋とはこのようなことなのではないか。むべなるかな。

 

2020年、東京五輪を大阪等でも開催するようになりそうだとのニュース。むしろ、東京五輪は都市として東京にはなったが、地方創生が政策でもあり、且つ東京一極集中の経済や人口集中などを考えれば、視点を変えるならば、五輪の種目別に関西、東海、福岡、東北などのオールジャパンで考えれば、日本は活気も経済の底上げも、デフレからの脱却も可能になってくると思うのだが。

主権者である国民が「むべなるかな」と思える政策をすべきではないか。

 

 

2014年11月21日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第151回 謡曲「実盛」

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

【特集】 敷地物狂からみる実盛

 

平成26年度 第3回公開講座 敷地物狂からみる「実盛」が11月3日(月・祝)午後1時~3時40分まで検番2Fホール(加賀市片山津温泉)で開催された。当初、加賀市篠原町実盛塚で開催する予定だったが雨天のため片山津温泉での変更となった。

 

主催/能・敷地物狂実行委員会(加賀市大聖寺・菅生石部神社内) 文化庁、加賀市文化財活用事業実行委員会

後援/加賀市、加賀市教育委員会、片山津商工振興会、片山津観光協会、NPO法人加賀白山おったから塾、NPO法人I Love加賀ネット

 

untitled

実盛塚 (加賀市篠原新町)

 

先に、12時50分から実盛塚で法要が行われた。

11月3日文化の日は晴れの特異日と言われるほど好天をだが、この日は残念ながら早朝から激しい雨となった。

 

 

2)首洗池コピー

首洗池

3)武将たちコピー

武将たち

                           

4)告知板コピー  5)無残やな碑コピー

         篠原古戦場 首洗池       むざんやな兜の下のきりぎりす(芭蕉)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

⦿ゲスト・手塚 眞氏 (漫画家・手塚治虫氏長男) の挨拶

「法要の始った時は、雨に濡れた実盛塚の実盛像、控える手塚太郎光盛像が涙雨に見えたが、法要が始まると不思議なことに雨が上がり、晴れ間が見えてきて、本日の「実盛」の成功を感じた」。

=深く繋がったものがあるような気がしてならない=と。

観客席は130名を超える観客で立見も出るくらいの盛況で、謡曲「実盛」が深く地元民に根差しているものと、思ったのである。

 

プログラム ~オープニングレセプション~

独鼓「歌占」うたうら

宝友会 井口昭久氏の謡占とお孫さん秀馬君の大鼓=

秀馬君は、物心がついた頃から稽古を始めたという。

世阿弥 風姿花伝第一 年来稽古条々 上

「この藝において、大方、七歳をもって初めとす。」とある。

こうしたことに習ってのことなのであろう。

 

仕舞「実盛」錦城能楽会

(修羅物)世阿弥の斎藤別当実盛と手塚太郎光盛との篠原の合戦の有名な場面である。能、幽玄な中にこの凛として張りつめた緊張感が観るものを惹きつけてやまない。

 

~開  会~

講演

能・敷地物狂からみる加賀の謡曲

・「故郷を飾った実盛」国立劇場制作部伝統芸能課長 猪又宏治氏

・「実盛を見る」作家 竹田真砂子氏

 

実盛塚が身近にあって、篠原の合戦がこの土地に歴史として存在し、時空を超えた現在の中に、当該地元の住民の観客の方々が知りえなかった歴史のエピソードをふんだんに教授して戴いた。実盛や手塚太郎光盛人物像や時代背景を見た鋭い説明でもあった。

 

6)実盛涙コピー

                 *語り 「実盛」平家物語より

                   ナレーター・俳優 林恒弘氏雅楽のゆっくりとした、

                   リズム感とその雅さを感受しながら林氏の俳優として

                   の演技力と迫力に、静かさの中での重厚さとひっ迫感

                   を感ぜずにはおられなかった。

                   これぞ、プロフェッショナルであった。


 

 

講演 「手塚太郎光盛と手塚治虫」 手塚眞氏

マンガ家手塚治虫氏のご長男手塚眞氏の講演は、治虫氏の曾父にあたる手塚良仙であり、その父親良庵光昭が文政六年に残した記録では、祖先は信濃の手塚邑の手塚太郎光盛で、木曽義仲に仕え、斎藤別当実盛を討ちとった手塚太郎光盛は手塚治虫の祖先。

 

座談会

手塚 眞氏、竹田真砂子氏、猪又宏治氏によって行われた。

謡曲「敷地物狂」は、金春禅竹が創作した謡曲。舞台は加賀江沼郡菅生の菅生石部神社の境内(敷地)である。平成二十五年九月二十九日、観世流シテ方能楽師、大槻文蔵師によって菅生石部神社境内にて里帰り講演が上演され、敷地物狂からみる「実盛」を第三回講座となった。

敷地物狂からみた「実盛」、歴史の重み、そして人生観、実盛の武士(もののふ)としての天晴な生きざまを感じざるを得ない。

こうした歴史や名跡を大切にすることは云うまでないが、結局のところは地元の方達の熱い思いが一丸となって取り組んでいかなければならないのではないだろうか。

努力はいつまでも必要なもの。その上に意志の高さがあってこそ成り立っていくのもと思う。

加賀江沼のリズムがあり、決してスピードを望むものでもなく、先進のものを臨むのもでもない。人のリズム感は心地の良いテンポと感動が生み出すものと思ってやまない。

 

 

2014年11月4日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 




| 会員登録フォーム | プライバシーポリシー

〒922-0412 石川県加賀市片山津温泉11の1番地2 (愛染寺内) Tel 0761-74-1147 Fax 06-6863-0050

Copyright(c)2008 I Love 加賀ネット All rights reserved.