NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
> top     > ブログ

「I Love加賀ネット」ブログ随時更新中です。

第164回 「夏の高校野球観戦と人口減」

暑中 お見舞い申し上げます 

EPSON MFP image

画・筆者

・  ・  ・  ・  ・  ・

全国高校野球選手権大会100年 1915年(大正4年)8月18日~23日大阪豊中球場で出場10チームで開催された。これが第一回大会で、東北、東海、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州と春の都下優勝校早稲田実業の10チームで、優勝は京都二中、準優勝は秋田中(東北)であった。この豊中球場は(現在の豊中ローズ球場)阪急電車・曽根駅から5分程のところにある。筆者の散歩圏内でもあり、今日第4回戦で大阪桐蔭高校と信太高校を観戦しに行った。梅雨明け宣言から2日間台風の影響もあり順延となり、今日行われた。焼けつくような日射の中での観戦であった。おそらくこのまま順調に行けば大阪桐蔭が甲子園にと云うことなのだろうが、勝負事は解らない。毎日全国各地で決勝が開催されて、

第97回全国高校野球選手権大会(甲子園球場)は8月6日が開会式・初日の予定になっているので、この先は連日続々と出場校が決まる。

 

少し驚いたのは、六校の選抜チームがあったことです。野球部の人数が集まらず、六校が一チームで甲子園を目指すことになって、こうした状況になって来ているとは思いませんでしたが、こうしたチームが増えていくのは自然なのかもしれません。甲子園常連校のような学校でも、学校の方針で野球部が消滅していくような事態にもなっている。学生減少も当然であり、学校経営にも大きな影響が出始めている。高野連としても認めていかざるを得ないのではないか。

子供の減少で小学校、中学校は廃統合をし、高校の減少も止もうえないのかもしれない。学校経営や塾経営も難しくなってくるのは当然のことである。

 

①豊中ローズ球場

 =豊中ローズ球場=

②大阪桐蔭×信太 (1)

DSC_0095

急速な人口減は超高齢化社会の入り口である。既に現象化し始めているからこそ、高齢者の地方への移住の促進であろう。筆者の住むマンションもご多分にもれず65歳以上が多く居住するが、元気なマンションでもある。核家族化で子供達は独立し、当然残された夫婦は高齢化する。顕著なのは、子供が小学校・中

 学校併せて4人しか居住していない。都市部における過疎化が始まっているのがよくわかる。

 

東京、大阪等の都市圏においての2025年問題とされる団塊の世代が75歳に達し、現在は元気でも後の10年間で様変わりすることになる。そうした現状の中で、医療介護、ベット数の不足などは明らかで、更に医療介護従事者の不足などが顕著になっている。様々なモデルケースを考えて取り組み始めてはいるようだが、行政間の連携が上手くいっているとは思えない。つまり、国も地方自治もこれと云っての解決のヒントは掴めずにいると思っている。行政の単体での限界を感じ始めているからです。これが成功のモデルケースであると云うのは、そう見つからない。

それでも何もせずにいるよりも、何かに取り組んでいくことが大切な要因になり、それが意外と将来に活かされるようになるかもしれない。

 

そうした意味での地域活性化包括連携協定は、公共サービスと民間企業の連携を結び協働の推進を図っていくことである。その中にシルバー人材の活用などにも取り組んでいくことによって、老老の共助的コミニュケーションが生まれてくるように思える。

スーパーやコンビニで商品購入しても重くて持って帰れない。そこで、元気なシルバーボランティアの方が購入商品を家まで運んでくれるとか、そうしたことによって、健康状態の把握や連携がとれるようになり、少しの壁を低くすることで、お互いの情報交換にもなる。コンビニやスーパーの仕事を都合の良い時間帯で採用して貰うなど、シルバー人材の活用の拡大は大変結構なことではないでしょうか。地方では車での移動は不可欠であるが、高齢化してくると危険な要因になってくる心配もある。それぞれの基準があるだろうが、何歳になったら車免許を返上するかを決めておかなければならない。

 

人口減問題の一つに、医療費の問題や医療従事者の不足などがあげられます。

広域医療の充実化を果たしていけるかが課題であります。縦割りの国や市行政で考えると多くの壁があり、この障壁を取り払い行政間での連携を中心に考えて行かないと、将来が見えてこないのではないかと思っている。企業も行政も既得権益が前面に出ると上手くいかない。どこまで譲歩できるかにかかっているといえる。

人口減がもたらす社会構造の崩壊が始り、消滅都市に匹敵する人口減は社会変化と同時に、日本の生活や道徳観や文化の崩壊にも関わってくると思われます。

何をおいても、日本の人口を維持する政策を講じていかないと日本国が危うくなる。

 

 

2015年7月27日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第163回 「牛の背中」

 

 

6月29日から掲載の事業報告「報告ページ」北國新聞記事で 片山津守る 黒鉛の「珍石」

そして、「近藤幸即しのび記念碑」片山津温泉の基礎築くの記事に60年の歳月を感じた。

この記念碑の黒鉛珍石より、そこに寄り添うようにある大きな石に注目している。

お薬師さんは、片山津で育った子供達は必ず遊び場所としたはずである。この黒石そして

それよりも大きな照かてかに光り輝いた石が、格好の遊び器材だったと思っている。それを「牛の背中」と私は呼んだ。

【北國新聞】2009年(平成21年)2月26日

EPSON MFP imageEPSON MFP image

 

石

 

小学5年生ぐらいならないと、その大きさは自分より大きく、上ろうにも滑って、すべって何度の挑戦も跳ね返されるそんな石である。だから「牛の背中」であり、そう簡単ではなかったということで、何事もその時期が来なければ成功はしないという教訓でもあった。

 

黒鉛の珍石には触ったとか、その上に上ったとかした記憶は全くない。だからこそ、子供の遊び相手は「牛の背中」の石であったと思う。遊びの行動範囲は小学低学年ではお薬師さんのこの石や階段などで、高学年になると、お薬師さん裏道から展望台になり、展望台から小塩辻の畑や山林に変わっていく。

 

桑畑があったり、グミの木があったり、柿、栗など自然との触れ合いはその時代の子供は皆同じではなかっただろうか。故曽根ひろおさん著「大自然の懐に抱かれて」にも書かれておりますが、私達の兄の世代から、(戦後の10年間位)子供が成長していく過程の中でまさに同じ行動や考え方や、自然とのふれあいが子供達に引き継がれていったようです。

 

夏になればかぶと虫や蛍。ファーブル昆虫記に出てくる昆虫たちが身近にいたのです。

片山津温泉、毎日七色に変化すると云われている柴山潟があり、鮒や蟹や鰡、雷魚など淡水魚や植物があり、今でも楽しませてくれているはずである。

 

4四ツ手網 3薬師山から温泉街全貌509×382コピー

 

お薬師さん「愛染寺」には、子供達の夢が詰まっていたと思っている。開湯記念法要は6月28日。梅雨の最中であり、甦る光景は何時も雨だったような気がする。それでも大事なことは、その時期にする意味があり、文化があり、民俗学的な意味もある。

 

湯の祭りを通して、片山津温泉の歴史を感じ、継承していくことは大事な文化事業ではないかと思っている。その土地の、その季節の、そこに生活している人達の文化があり、それを子供達に繋いでいくことが、故郷片山津への思いである。

 

技術革新による進歩は、人をも進化させているのも事実だが、殊更に人の歩みは急ぐことはない。牛歩でもあり、そして牛の背中への挑戦でもあり、牛の涎の如くゆっくりとで良いのではないかと思っている。

 

 

 

2014年7月5日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 




| 会員登録フォーム | プライバシーポリシー

〒922-0412 石川県加賀市片山津温泉11の1番地2 (愛染寺内) Tel 0761-74-1147 Fax 06-6863-0050

Copyright(c)2008 I Love 加賀ネット All rights reserved.