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第175回 「蕪村と湯の祭り」

 ●学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

「蕪村と湯の祭り」

 

探題実盛 蕪村

名のれ 名のれ 雨しのはらの ほととぎす  落日庵 名所小鏡

新潮日本古典集成 校注清水孝之 与謝蕪村集より

「さぐりだい」詩歌の席上幾つか出された題の中から探りあてた題を詠むこと

「実盛」は斉藤別当実盛。『平家物語』七実盛最後参照。

実盛が手塚の太郎光盛に討たれたこの篠原に、今雨が篠突くように降っている。時鳥よ

実盛の鎮魂の為に一声鳴いてみてくれ。謡曲の文句通り、地名を詠みこんだ掛け詞は技巧的だが明晰にこなした秀句。

♢名のれ名のれ「名のれ名のれとせがむども終に名のらず、こえは、坂東の声にて候ひし」

(謡曲「実盛」)時鳥の鳴くことを「名のる」というのは古歌に多い。♢しのはら 加賀の国と「篠突く雨」と掛ける。

 

蕪村 探題

□名乗れ 名乗れ 雨篠原の時鳥

新収寺村百池旧蔵『夜半亭蕪村句集』春夏  天理図書館報ビブリアNO144

より。2015年10月天理大学付属図書館『夜半亭蕪村句集』の写本2冊が見つかり、212句が未知のもと確認された。

 

芭蕉は「奥の細道」で

むざんやな 甲の下のきりぎりす

寿永2年6月1日(1183年6月22日)

治承・寿永の乱(篠原の合戦である)前日まで激しい雨であった。この日は快晴で合戦が始まり、倶梨伽羅峠での戦いの勢いそのままに、源義仲(木曽義仲)軍が平維盛軍に圧勝した。

平家物語

「篠原」「実盛」である。

まさに日本列島は雨期である。

DSC02883 - コピー  ②首洗池画像108

 

首洗池 (加賀市)

 

下って、1882年(明治15年)石川郡観音堂村から井戸掘り職の森 仁平を招いて温泉を掘り当て完全な温泉が使用可能になった日が6月28日。その後この日を記念して片山津温泉の「湯の祭」が開催されるようになったが、現在は8月に行われている。昔はお薬師の境内で北陸三県素人お相撲が催されたりもした。また、加賀・江沼小学校相撲大会もあった。

0)曽根・相撲DSC03735  3)薬師・相撲DSC03726
  曽根廣雄著:大自然の懐に抱かれてより  =愛染寺の相撲大会イラスト=

 

 

コピー ~ SCN_0003 湯の祭り手踊りSCN_0003 - コピー
            1-2)ゆの祭り

    「湯の祭り」の片山津温泉は賑わった

 

 

(「図説かたやまづの歴史」より P130温泉の開発事業 P174暮らしの年中行事六月 参照)

歴史的にみると片山津は六月が意味のある月ではないかと思われるのだが。

「湯の祭」は雨であった記憶が残っている。

しかし、雨の「湯の祭」も良いのではないかと。

柿の葉寿司が楽しみで、柿の葉を取りに行ったものである。総湯の周辺は露店が並び夜に花火が上がった。

 

kakinoha[1]

 

それは6月の終わりだったのだ。梅雨の蒸し暑さと、これが過ぎると梅雨時期から夏にかけての息詰まる日々の中の夏祭りの情景である。

今年は平成28年熊本地震。1948年6月28日は福井地震(M7.1)のあった日でもある。

こうしたことも忘れてはならない。

 

「名のれ名のれ雨篠原の時鳥」は情景(実盛と手塚太郎光盛)を捉え、梅雨期の雨の激しさ(篠突く)と時鳥の季節感を蕪村は詠んでいる。故郷としているものにとっては、この凄い表現力を理解できると思っている。

 

暮らしの中にある「湯の祭」は歴史的観点からも六月が重要な月なのではないかと思っているが、如何だろうか。

【事業報告】ページに「篠原懐古」20年振りに復活記事を掲載してあります。

この曲は昭和5年につくられた曲。元・片山津中学校 角谷一之校長指揮により、「片山津健康クラブ」の皆さんが「片山津~篠原・古戦場めぐり桜ウォーク」”実盛塚〟で披露した。

 

EPSON MFP image
 

実盛塚54 - コピー

 

 

 

 

 

 

 2016年5月8日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

 




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