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第190回  士為知己者死 女為説己者容 

 

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

士為知己者死 女為説己者容

(士は己を知る者の為に死し、女はよろこぶ者の為にかたちづくる。)

 

中国春秋末期、戦国と呼ばれる時代、最大の諸侯「晋」が有力家臣団の三氏に分裂し、

「韓」「魏」「趙」の三国が誕生した紀元前403年から秦の始皇帝が天下統一を成し遂げる同221年までの182年間を戦国という。弱肉強食。諸子百家の時代であった。

「百家争鳴」「百花斉放」を呈し、諸侯は有能な士を召抱えようとした。そして有能な士は「己を知る者」を求めて諸国を遍歴した。戦国は男の時代、「義」を重んじ、義のために己を平然と投げ出した。

 

187回「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」つづき

士は己を知る者の為に死す「義」とは何か。「大義」「忠義」の一点である。武士の一分、武士の忠義の重たさや無念さ、赤穂藩取り潰し、お家断絶、そして赤穂浪士となる武士の意気地など、幕府の政道に対しての不満ややるせなさが仇討に繋がっていく。

 

筆者は大高源吾(子葉)と藤原宗邇(上島鬼貫)が東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた俳人鬼貫と芭蕉の後江戸の俳諧中心的人物、水間沾徳に師事した子葉の俳人の関係の一夜ではなく、鬼貫も源吾も「義」「武士の一分」を句の奥深く閉じ込めた、そして研ぎ澄まされたものではなく、穏やかな心での対面であったのではないかと勝手に思っている。

水間沾徳に師事した赤穂義士の富森助右衛門正因、大高源吾忠雄、神崎与五郎則休、萱野三平重実は俳号を、春帆、子葉、竹平、涓泉と号した。前号で紹介した「二つの竹」に掲出されている。

かくて、子葉は伊丹を去り、神崎の渡りにでる。

「秋ざれの鍛冶屋を覗く夜道哉」子葉   鍛冶屋(刀鍛冶)を覗くであるが。

「栢ぐるみまつとしきかば四十雀」子葉

年末は「忠臣蔵」の映画、歌舞伎などで盛り上がると云っても高齢者だけかもしれませんが、大義や忠義といってもピンとこない人が多くなっていく中で、これまで日本人の精神的支柱としての四書五経―朱子学―陽明学を理解することは難しいと思います。

 

元禄時代は朱子学の考え方であったことも背景になっていた。

 

大聖寺新田藩もまた

元禄5年(1692年)大聖寺藩の二代藩主前田利明に死去、その後を継いだ三男前田利直は弟利昌に1万石を分与したことから、大聖寺新田藩が立藩した。但し、藩といっても大聖寺藩の収入分から1万石を与えられただけで、独自の藩庁などの行政機関は持っていなかった。宝永6年(1709年)第五代将軍徳川綱吉が死去し、その葬儀が寛永寺にて行はれる。このとき、大和柳本藩主である織田秀親が、朝廷からの使者に対するご馳走役大准后使饗応役を命じられる。同じく、利昌もこの役中宮使饗応役に任じられた。

 

どうも二人は以前より折り合いが悪かったらしい。2月15日、翌日の将軍徳川家宣の参詣行事について書かれた老中の奉書が届けられ際、饗応役はそれを閲覧することになっていたが、織田秀親は利昌に見せようとしなかったらしい。その場で利昌は小刀に手をかけるも、いったん踏みとどまった。が、利昌は2月16日、法会が寛永寺で行はれている時に、寛永寺吉祥院の宿坊で、家老木村久左衛門に秀親を後ろから羽交い絞めにさせた上で、織田秀親を殺害した。

この為、利昌はその身柄を山城淀藩主石川義孝に預けられ、同18日切腹となり、大聖寺新田藩も廃藩となった。藩の成立から18年の短期間であり、政治機構自体が存在していなかったため、新田藩の領地1万石は、幕府に一時没収されたが、後に大聖寺藩に返還されている。

 

大聖寺新田藩主、前田利昌は切腹となる。元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に斬り、お家断絶、赤穂藩取り潰し、そして赤穂浪士忠臣蔵の遺恨事件と同様の殺傷事件が起こっている。人間の性というか、遺恨や怨嗟はどの時代にもあることの証である。事件前日に、利昌は家臣木村久左衛門に赤穂事件について感想を求めたという。木村は「内匠頭は切らずに刺せば本懐を遂げられた」と返答したという。いずれにせよ、赤穂藩士忠臣蔵が幕府の先例としてあり、この事件の裁断の裏付けとなったのは間違いなさそうだ。無論それ以前からそうした類似事件はあったし、それ以降もなかった訳ではなさそうだ。利昌の切腹と同時に家老木村久左衛門についての記述はないが、おそらく武士の本懐として切腹と相成ったと考えられる。

 

大聖寺藩と僅か18年間の大聖寺新田藩。加賀百万石が生き残っていく為に、徳川幕府に睨まれないように知恵と工夫を駆使いていく様が感じてならない。元禄文化の終焉とこの先長く続いていく徳川の時代、幕末まではまだまだ先のことである。忠義に生きてきた武士の生き方と俳諧のもたらす役割は深いと思っている。

 

蕪村は「新花摘」の中で、其角が書簡中で「義士四十七士」と認めたことを記しており、四十七士に命を帯びた寺坂吉右衛門か自刃した萱野三平かはどうなのだろうかと。

 

子葉の辞世句  「山をぬく力も折れて松の雪」

「山を裂く力も折れて松の雪」 何れもあり

切腹前に少紙に書いた句と云われている

「梅でのむ茶屋もあるべし死出の山」

 

≪参考≫ 伴野 朗著「士は己を知る者の為に死す」より  復本一郎著「俳句忠臣蔵」    Wikipediaより引用する。

 

2017年1月23日

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

 

第189回 2017年を迎えて

 

2017年 謹賀新年

 

旧年中は、当「コラム」お読みいただき誠に有難うございます。皆さまから「とても興味深い内容が多い」「歴史散策、郷土史に深く関わり、それを自身の足で探索・研究している」等、お褒めの言葉を戴き光栄に存じます。また、その節にはご協力を賜りました皆様に厚く御礼申し上げます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

            *     *     *

米国トランプ新大統領就任が年初の大きなニュースとなります。世界が注目する出来事であり、どうの方向に世界が動いていくのかが予測できないだけに、予断が許せないところであります。既に2016年次期大統領と決まった時から日本経済は円安にふれ、株も20000円に急接近と動き始めています。トランプ大統領となっての政策、経済が世界をプラスに導いていけるのか、また日本にとってマイナスにふれるのか解からない。

2016年は想定に反したことが表面化し、従来と異なる思考や行動になり、短期的な判断は難しいことになっているのではないでしょうか。

 

日本はこの先も人口減に悩まされ、すべてに関わる少子高齢化が様々なところで影響を及ぼし始めています。地方行政も深刻な状況に益々なっていきます。団塊の世代が70歳を迎える2017年でもあります。

 

難しいかじ取りになりそうな年でもありますが、東京五輪、万博、北陸新幹線延伸などこの先10年が少しずつ見え始めてくる年ではないでしょうか。

 

NPO法人I Love加賀ネットも新しい事業や人材育成など積極的に取り組んでいかなければならない課題も多いところではありますが、これまでの着実な実績と新事業を加味し更に充実した年にしたいものだと思っております。

2017年 本年もよろしくご愛顧頂きますよう、お願い申し上げます。

 

 2017年元旦

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 




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