NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
> top     > ブログ

「I Love加賀ネット」ブログ随時更新中です。

第59回 あんころ餅

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

「松任のあんころ餅と加賀の千代女」

 

「悟、あんころ餅食べようサア」「食べよ、食べよ!」悟は山代温泉、私は片山津温泉で動橋駅まで一緒で通学の帰りに二人で汽車の中であんころ餅を食べた。昭和38年頃の高校生時代もう50年も前のことです。(当時は松任駅で駅弁スタイルで売っていた。)

 

●泉鏡花作 「あんころ餅」

松任の次手なれば、其処に名物を云うべし。餅あり、あんころと云ふ。城下金澤より約三里、第一の建場にて、両側の茶店軒を並べ、件のあんころ餅をひさぐ、、、、伊勢に名高き、赤福餅、草津餅のおなじみ姥ケ餅、相似たる類のものなり。(後略)

松任のあんころ餅は、伊勢の赤福餅に匹敵すると書いている。泉鏡花もあんころ餅が、どうも大好物であったようだ。

 

土用の入りにあんころ餅を食べる。

 

関西や北陸では夏の土用の入りの日に、あんころ餅を食べる風習があり、別名「土用餅」と呼ばれている。鰻を食べると同様に、土用餅を食べて精をつけ、夏の暑さを乗り切るためとされている。

大阪ことば辞典では、あんころ餅は餡を餅で包む。となっているが、松任のあんころ餅は餅を餡で包む。何れも土用の入りにあんころ餅を食べるとなっている。

 

●創業270年の「圓八のあんころ餅」

未だに竹皮の包装に包まれたあんころ餅が大好きである。圓八さんは、元文2年(1732年)創業ですから江戸の中期。華やかな元禄時代から吉宗の緊縮政治、享保の大飢饉と厳しい時代に差しかかっていた頃である。

 

加賀の千代女は1703年、松任の表具師福増屋六兵衛と村井屋つるの長女として生まれた。千代女の居宅と圓八のあんころ餅はいわば隣町のような位置にある。(現在の地図で見ると)

創業まもない圓八に千代女は30歳代ですから、あんころ餅を食べに寄ったり、買い求めたりしたのではないか想像する。想像することは実に楽しいことであります。

 

圓八さんに電話を入れて、「加賀の千代女があんころ餅を買い求めたとの記録はありませんか」と尋ねました。「そうした記録、記述はございません」との返答でした。歴史の中に埋没した結びつきが創造の世界で楽しませてくれます。

 

             ■写真提供:園八(同社ホームページより引用)*許諾済 

 

 

 

 

   「ひるは手に子供もとらぬ蛍かな」千代女  

 

 

 

【 白山市松任「千代女の里 俳句館】

 

次回は長谷川歌川女と三国発祥の酒饅頭です。お楽しみに。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 2012年6月5日

                     NPO法人  I  Love加賀ネット

                       事務局長 東川 敏夫

 

 

 

 

 

コメントは受け付けていません。




| 会員登録フォーム | プライバシーポリシー

Copyright(c)2008 I Love 加賀ネット All rights reserved.