NPO法人「I Love 加賀ネット」は加賀の発展と心豊かなまちづくりの為に活動する団体です。
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第188回 2016年を振り返る

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

                                                                                  2016年を振り返る

2016年を振り返ってみると、美術館や展覧会、名所旧跡めぐりが例年よりもはるかに多かったように思う。殊に「若冲や蕪村」生誕300年ということもあり、若冲や蕪村を中心とした展覧会巡りが多かった。

 

事務局コラムを書くにあたり、例年よりも諸条件が厳しい時間であり、さまざまなことが多かっただけに、美術展めぐり等、より一層こうした時間が取れたことで充実感を味わったと思っています。長い間忘れかけていた絵画(鉛筆デッサン画、水彩画など)を展覧会など鑑賞したことがきっかけで画き始め、この一年で随分と多く画くことができました。一年前と比較するとやはり数段上手になったと思っています。文章も俳句も水彩画やデッサンも繰り返し繰り返し練習して上手になっていきます。毎日繰り返すことによって終わりがありません。試行錯誤を繰り返しながらやることが、痴呆を予防することに効果があると講座で専門医から聞きました。

 

今年はと云うよりも、現場主義で必ず書きたいと思っていますので、足を運ぶことを実行する。このことがすべての原点だと思っています。

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11月後半から、「俳人の忠臣蔵 萱野三平」を書きたいと、箕面萱野町から豊中岡町約10㌔を歩いたり、若冲展を鑑賞し、そして「壺中之展」大阪市立美術展を、逸翁美術館で与謝蕪村「奥の細道」画巻保存修理完成を鑑賞に行きました。鑑賞できる時には兎も角行くと決めておかないと、期間のあることですから、つい行きそびれてしまって後悔することになると思いますので。そんなことで、比較的積極的に美術館や展覧会、コンサートには出かけるようにした一年でした。

今年は、昆虫展(京都大学博物館)を鑑賞したことが、昆虫の絵を描く事へ、拍車がかかりました。昆虫の世界は楽しいものです。

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年末になると新聞紙上では今年の出来事として記事にはなりますが、自分のこの一年を振り返ることも必要かもしれません。

 

NPO法人I Love加賀ネットもこの一年は充実した事業を展開してまいりました。

まだまだと思えることもあるかもしれませんが、コツコツと実績を作り上げていくことが、結果的には不足の個所も埋め尽くしていくものと考えております。実績の積み上げは多くの方からの信頼でもあり、支援でもあります。継続していく力を更に向上させていく為に、2017年も新しい事業に取り組みたいと考えております。

 

2017年もよろしくお願い致します。

2016(28)12.31

NPO法人I Love加賀ネット

事務局長 東川敏夫

 

第187回 「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その二

                      学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動                                                     

                                                               

                                                        

              赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その二                   

                                                

「かく山を 引ツたてて咲しをに哉」  子葉

「月はなし 雨にて萩は しほれたり」 鬼貫

 

子葉(大高源吾)と鬼貫(上島鬼貫 藤原宗邇)の交歓句ありと。

復本一郎著「俳句忠臣蔵」(新潮選書)から引用させて頂きます。学術的な面や研究を考えると、筆者などには到底できることのない研究をされております。

 

上記の句は、義士俳人子葉が編集、公刊した俳書「二つの竹」 元禄十五年(1702年 仲夏(陰暦五月)に収録されている句です。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、元禄十五年十二月十四日で、討ち入りの七か月前には「書として体裁がととのっていた」ことになる。「二つの竹」のタイトルに深い意味があり、謡曲「放下僧」よりの引用で、父のかたき討ちをテーマとするもので、「二つの竹と名ずけたる冊子の名は、うちをさまりしといふ謡物の言葉を借りつらめ」とある。仇討の意図がそこにある。だからこそ「二つの竹」に俳人子葉は(大高源吾)魂のすべてを注ぎ込んだといっても過言ではない。「二つの竹は」子葉(大高源吾)の覚悟なのである。

 

さて、その一に少し戻ってこの「二つの竹」の交歓句に収録された場面を想像しながら、進めていきたいと思う。

 

大高源吾(子葉)が萱野三平(涓泉)を訪ね、何日間か涓泉居に滞在したかは解からないが、何れにせよ大石内蔵助からの命を伝えるのが目的であったはずである。そして勝尾寺や大滝の秋をどのような思いで味わったかは解からない。

 

萱野三平は、父萱野七郎左衛門重利より、他家へ出仕を促されており、忠孝の板ばさみに悩んでいた最中の頃である。仇討への思いと子葉(大高源吾)からもたらされた討ち入りの決意の忠は、涓泉(萱野三平)は如何ばかりであったかと。

 

子葉は水田西吟の居宅摂津桜塚の落月庵に向かった。西国街道にある萱野邸から落月庵(現在の豊中市岡町)までは緩やかな下りの道である。子葉は、蘭風(藤井光貞・水仙堂蘭風は萱野三平の叔父)と、落月庵に向かう。西吟は井原西鶴の弟子で「好色一代男」の版下を書いたことで知られている。子葉が西吟の求めに応じて料紙に書いた一句は「掃庭やいやがられても馬糞茸」と。

そこで、蘭風、休計、子葉の句(蘭風、休計の句も二つの竹に)「張箱に蓑虫鳴くや桜づか」蘭風 「おもかげの障子は動くしころかな」休計(休計は箕面の俳人で西吟とすこぶる親しかったらしい) そして「裏枯れや餅にとどまるさくら塚」子葉の句である。そして雨のたそがれ時に、桜塚を出立している。

 

愈々、伊丹の鬼貫を訪問し、一泊する。その時元禄十四年(1701年)鬼貫41歳。子葉30歳である。ここで書き出しの句がでてくる。当然ながら、二つの竹に収録されている。

 

子葉の挨拶句が 「かく山を 引ツたてて咲しをに哉」

紫苑が咲くことによって山がこのように美しく引き立って見える。という句ではあるが、し「おに」伊丹俳壇の重鎮、鬼貫その人を詠みこんでの句である。

 

「月はなし 雨にて萩は しほれたり」 鬼貫

月はなし、雨で見頃だった萩まで萎れてしまって、せっかくお越し頂いたのに申し訳がない、鬼貫は大した俳人ではありませんよ。との謙辞の句である。

 

筆者の注目するところは、鬼貫邸に一泊したところにある。子葉(大高源吾は赤穂藩士)鬼貫(藤原宗邇)も武士である。というよりも、子葉はお家断絶、武家社会から放り出された浪士である。また、鬼貫(藤原宗邇)は上嶋家の遠祖は武士で藤原秀郷(俵藤汰)に辿りつく武士である。鬼貫は仕官にこだわり、武士の一分を立てんとする終生の生き方を持っていた。清酒「三文字」の醸造元「油屋」の上嶋宗春の三男として摂津国河辺郡伊丹郷で生まれている。が自ら心底武士であると思っている。

 

こうした二人、俳人としての交歓句に包含される武士としての生き方や、思想、そして徳川幕府の武士社会を頂点とした、士農工商の封建制度の確立等と押し潰されそうになる人間としての悔しさが交叉する中で、俳人同士の会話で終わったのか、また、武士としての生き方を会話せずとも理解し合えたのかもしれないが、そう考えた方が自然であるのかもしれないが。子葉は、仇討はやりますとは云わないまでも、何らかの暗示をしたのかと勘繰りたくはなるが、言わずもがなの心こそ、武士の心情なのかもしれない。

 

武士社会を形成したのは朱子学(朱熹)である。五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(夫婦、父子、朋友、長幼、君臣)儒教(四書五経)から朱子学。

 

身分制度と礼節を用いた朱子学が江戸幕府の骨格となしていた。倫理観や道徳観を考えると、武士社会にあって、子葉や涓泉そして赤穂浪士の俳人たちは、涓泉同様に悩み苦しみながらも、仇討を実行する「忠臣蔵」である。

 

 

短い二日間の出来事の中から、元禄十五年十二月十四日の討ち入りへ繋がっていく。

 

                    2016年12月13日

                NPO法人  I  Love加賀ネット

                   事務局長 東川 敏夫

 

第186回 「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その一

                     

               「赤穂浪士―俳人たちの忠臣蔵」その一

 

 

元禄十四年九月中旬、大高源吾(子葉)は、萱野三平(涓泉)箕面を訪れ勝尾寺、箕面大滝に遊ぶ。(元禄十四年九月中旬は現在の11月中旬なので季節的には丁度今の時期である。)箕面の山々は燃えるような紅葉が目に焼きついていたであろう。能勢街道を豊中(筆者所在地)箕面に向かってずっと上りである。そして西国街道にぶつかる。この元禄十四年九月中旬が重要な日である。

 

萱野三平記念館や上島鬼貫の年譜表には九月としか記述がない。が、大高源吾はおそらくその前日は京都山科に大石内蔵助を訪ね、吉良義央(吉良上野介)への仇討を確認したものであろう。(大石内蔵助は六月二十五日赤穂を去り、山科に向かうとある。)そしてこのことを箕面の、この年の四月に帰郷している仇討の一党に名を連ねる、赤穂浪士四十八番目の義士と云われる、萱野三平に伝えたのであろう。

 

 

元禄十四年三月十四日、「江戸城松の廊下」での刃傷事件は浅野内匠頭の切腹、お家断絶、赤穂城明け渡しの厳しい処分となった。赤穂浪士の討ち入り「忠臣蔵」である。

早籠で赤穂まで飛脚で8日掛るところ、4日で事件の第一報をもたらしたのは萱野三平である。この道中、西国街道沿いに実家、萱野邸前を通過するも、母親小満の葬列に出会うが、「一目母御に会っていけ」と同行の早水満堯に勧められるも「御家の一大事」と涙ながらに振り切り、赤穂に到着したといわれている。(亡母小満の百ケ日法要は六月二十八日に梅田・太融寺で行われた)

 

 

元禄時代は俳諧が盛んな時代で、東の松尾芭蕉、西の上島鬼貫と云われた。江戸俳壇の中心人物であった水間沾徳門下の大高源吾(子葉)神崎則休(竹平)萱野重実(涓泉)の赤穂浪士の技量は当時の俳諧人にも広く認められていたと云う。萱野一族にも兄重通など多くのすぐれた俳人が活躍したと云う。武士社会の江戸だけではなく、元禄の商人の町大阪俳諧も多くの俳人を輩出し、鬼貫、水田西吟、西鶴、そして近松門左衛門など元禄文化は上方でも大きく開花した。そんな元禄文化の光とお家断絶、城明け渡しそして仇討は幕府の影の部分であったといえる。武士と庶民、武と文の交錯した徳川幕府体制の確立をなしていく時代になってきていた。

 

 

また、赤穂義士には、多くの俳人が輩出された。

小野寺十内(俳号 里籠) 神崎与五郎(竹平) 原惣右衛門(来水) 茅野和助(禿峰)間重二郎(如柳) 寺坂吉衛門(万水) 吉田忠左衛門(白砂) 富森助右衛門(春帆)元禄文化は江戸、大坂のみならず全国に俳諧は広がりを見せていた。松尾芭蕉の「奥の細道」を見ればこのことはよくわかることでる。

 

萱野三平と箕面勝尾寺、箕面大滝で遊んだ大高源吾(子葉)は、桜塚(豊中市)に住む(落月庵を設けている)水田西吟≪新月の斧にちるらむ華のけふ 西吟≫又、井原西鶴は≪ここぞ萬句 俳諧名所の桜塚≫と詠んでいる。』や伊丹の鬼貫のもとを訪れる。箕面から能勢街道をずっと下りである。現在の豊中市役所(岡町)まで約6キロ、そして伊丹、猪名川を渡り昆陽池を過ぎると元禄の財が集まった酒造の町伊丹には、上島鬼貫が待っていた。鬼貫の年譜表にも九月、大高源吾(子葉)一泊する。と記してある。上島鬼貫は俳諧人であるとともに、藤原宗邇と云う武士である。交観句あり(「二ツの竹」)俳人としてまたこの日ばかりは、武士としての「羲」の思うにあったことと推察するばかりである。

 

萱野三平は仇討に反対の父重利に対する親孝行と、主君内匠頭への忠義の板ばさみが大きな重圧となり、元禄十五年一月十四日、自宅長屋門の一室で自刃し人生に終止符を打つことになる。

 

萱野三平辞世の句 「晴れゆくや 日頃心の 花曇り」涓泉   

萱野三平旧邸長屋門に碑があります。

大高源吾 「うら枯れや 餅にとどまる 桜つか」子葉    

豊中市にある原田神社境内に碑が建てられている。

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この旧暦九月の二日間のことを戯曲「伊丹の秋」三幕 俳人鬼貫の生涯より 作・佐坂茂男(地域研究いたみ 第九号 別冊 第三幕) に書かれている。また、あとがきで書かれてはいるが、萱野三平が鬼貫を訪れたという記述はないとも書かれている。

 

たった、この二日間のことが「時は元禄十五年十二月十四日」赤穂浪士の討ち入りに繋がっていく。

 

 

 <次号へ続く>

記事並びに写真の転載はご遠慮ください

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【参考資料】 地域研究 いたみ 第九号 上島鬼貫年譜考(櫻井武次郎・安田厚子)

萱野三平旧邸長屋門・涓泉亭パンフレットより

 

2016年11月28日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第185回 「法人 I Love加賀ネット創立9年目に向けて」

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

自然環境の保全を図る活動 I  Love加賀ネット<当会定款より>

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

「法人I Love加賀ネット創立9年目に向けて」

 

NPO法人I Love加賀ネットは2008年(平成20年)11月11日に設立。2016年 (平成28年)11月11日は9年目に入ります。

 

2008年と云えば米国第44代オバマ大統領が誕生した年でした。それから8年の歳月が流れ、11月8日に米国大統領選挙がおこなわれた。9日は日本でも開票速報が流れクリントンか、トランプかで接戦でスタートした。最大10ポイント差でクリントン有利の予想が大逆転でトランプに決まり、共和党が8年越しで大統領を民主党から奪取した。

大方の予想を覆しての大逆転の要因は解からないが、米国民の不満や変革を汲み上げることができなかったクリントンの戦略的敗北と云えそうである。ニュースを聞いているとどれもが本質でありはあるが、本音ではないような気がする。

なぜトランプが勝利したのか、それこそ勢いが流れを変えたと云ってもいいのかもしれないが、どう分析するのか、またどう対応していくのかが今後大きく影響してくる。アウトサイド トランプに期待する米国民、そして世界中が注視するトランプ米国次期大統領が誕生した。

 

NPO法人I Love加賀ネットは、この8年で様々な事業に取り組んできました。

中谷宇吉郎「雪の科学館」指定管理協同事業を中心として、春の歴史・文化をひもとくウォーキング事業、秋の爽やかウォーキング等の継続事業。また、柴山潟桜周回廊計画事業などの事業の運営や経済講演会(野村総合研究所 未来創発センター上級エコノミスト 佐々木雅也氏)等を主催し、故郷や市民の心に根差した地道な活動を実施することがNPO法人としてI Love加賀ネットの信用、信頼に繋がっていると確信しております。

 

更に推進していくこと

当会の基本理念として、加賀の自然資源を活かし「文化」「歴史」「科学」「教育」「まちづくり推進」の為の情報発信をしています。この基本的な考え方は、歴史と文化、そして恵まれた自然、柴山潟や白山は宝であります。教育、科学は未来に向けて更に発信していく創造の時代になってくると思います。

 

古くから北陸地方一帯を越の国と呼び古今和歌集では紀貫之が詠む

思いやる 越の白山しらねども 一夜も夢に越えぬ夜でなき

古から白山が詠まれ、そして未だその姿は雄大で、かつ心にいつまでも安らぎをあたえてくれるのは白山であり自然であります。

 

NPO法人I Love加賀ネットの目指していくものは、こうした自然や文化を大切にしながら、継続事業、新規の事業を展開し、当会の基本理念を地元の皆様と共に活動していくことができればと思っております。

今後とも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

2016年 (平成28年)11月11日

NPO法人加賀ネット 役員一同

事務局長 東川敏夫

 

 

第184回 「実りの秋とはいかなかったようで」

自然環境の保全を図る活動

 

「実りの秋とはいかなかったようで」

 

霜降から立冬、七十二候は「楓蔦黄」(もみじつた黄ばむ)7日は立冬で「山茶始開」(つばきの花が咲き始める) 12日からは「地始凍」(ちはじめておる)。

 

暦と気候も同時進行とはいかないようで、事業報告にも書いているように、白山頂上の初冠雪は11月2日、平年よりも16日、昨年よりも19日も遅く1902年の観測以来四番目に遅い冠雪のようです。気温が平年よりも高くそして遅くなっているので、秋の味覚は、豊作と思いきやどうもそう上手くいかなかったようなニュースが入ってくる。青森のリンゴが例年より小振りで、味覚には変化なさそうだが、どうも夏場の雨が少なかったのが影響しているとニュースは伝えていた。

 

筆者の居住の庭の柿三本とも休息の年のようで、残念な結果にも納得している。農業をやっている友人に聞くと前年にそうした状況にならないように手立てをしておくこと必要だと。

 

最近のニュースでは、熊に襲われて亡くなった方や、負傷した方が今年は非常に多いとのこと、熊のみならず鹿やその他の動物も団栗や木の実、そして餌となる植物が不作で、これまでよりも餌の領域が人間社会、生活の領域に入り込んできており、餌不足が原因と専門家は判断しているようです。

熊や鹿や猿等の動物は餌がなければ人間社会入り込んでくる。秋の味覚等と云っている場合ではなく、野菜の価格が2~3割も値上がりしているようである。

 

TPP(Trans-Pacific Partnership)環太平洋諸国が広域的経済連携協定。

TPP農業について衆議院で承認案可決。山本農水相不用意発言で混乱するも可決される。「食の安全」「日本の農業の将来」など釈然としないものがある。

 

米国大統領選挙が愈々行われます。ヒラリー候補女性初の大統領となるのか、トランプ候補になるのか、ヒラリー候補のメール問題でトランプ候補の激しい追撃を喰らっているようで、大接戦、大混乱で予測のつかない状況のようです。

TPPは両候補とも反対のようで、どのようになるかこれも分からない。結果は間もなく出るのだから。

韓国の朴大統領も機密情報漏洩事件で、支持率も5%に下落。日本は小池東京都知事の高支持率が続いているが、豊洲移転問題や東京五輪等の問題の方向処理を誤ると支持率にどう影響するのか?

いわば人気は一過性で、熱しやすく冷めやすいといわれている。

当欄NO179はミューヘン、サッポロ、ミルウォーキーCMの文章で、世界のトップリーダーは女性の時代と書いたが、まさか2カ月ほどで、特に韓国でのこの予想が崩れることになろうとは思いもしない状況になりそうである。予想はあくまでも予想なので、どうなるかは分からないし、そのことが良いのかどうかも分からない。

 

日本の人口は、1億2709万5000人で、2010年から96万3000人減少した。人口減少による様々な社会的変化、構造的変化の歪みが表面化し始めている。今のところ人口減は止めようがない。

日本の将来は、地方創生にありと思っているのだが、実に難解である。

実りの秋が続く期待感をもつのは当然なことなのだが、果実を得るためには不断の努力が必要であると。

 

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写真/加賀温泉駅から繋がる片山津温泉への道                             ~紅葉した木々の間を縫って~

=撮影11月6日=

 

2016年11月7日

NPO法人  I  Love加賀ネット                                      事務局長 東川 敏夫

 

第183回 「通信は知らぬ間に進化している」

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

「通信は知らぬ間に進化している」

 

このところ家の電話(固定電話)で会話したことがない。NTT固定電話は、激減傾向と云ってもいいのではないか。殆ど携帯電話、スマートフォンである。インターネットもタブレット、スマホの環境でこちらの使用頻度の方がはるかに高いようだ。

アメリカでは1958年にポケットベル、日本では1968年にサービス開始された。最初は官庁や医療関係の緊急時の手段として使われた。当時、営業マンとしてポケベルを持たされたと思い、縛られているような、会社から監視されている気分になって良く切っていたものです。

 

更に古くはFAXが開発されていたようだ。ビジネス社会に登場したのは1971年(昭和46年)に特定通信回線、1972年公衆通信回線を利用し、自由化と共に電話回線がデータ通信やFAX通信に利用されるようになった。1976年(昭和46年)A4サイズ原稿を3分で送信するG2規格が勧告された。(ウィキペディアより)当時、新聞原稿を送稿するのに特定の広告会社と新聞社の通信が繋がり、広告原稿を送信したが、なかなか繋がらず、「坊や(送稿係)自転車で走れ!その方が早い!」といってあんまりあてにはしていなかったが、技術力と云うのはとてつもなく進化が早く、こんな便利なものはないと思うようになったものだ。

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携帯電話も1970年代には大阪万国博覧会の時に「ワイヤレスホン」として出展された。以後自動車電話サービスとなり、現在の携帯電話とはことなるものである。その後香港に行く機会があり、日本では公衆電話の並び方をテレ朝の番組で、久米 宏がやっていた時代に香港では旅行ガイドが使っていたので驚いたことが思い出されます。公衆電話や固定電話の少ないところは、マーケットとしては着眼するのは当然でした。その裡あっという間に日本でも利用されるようになり、モトローラ―社の携帯電話がコンパクトでかっこ良かった記憶があります。2000年代に入るとインターネットとの融合で第三世代携帯電話としてパソコンと接続して高速データ通信が使われるようになった。

2007年には携帯情報端末(PDA)が進化し、パソコンとの差異がほぼなくなったスマートフォンが普及し始め、iPhoneをきっかけにスマートフォンの時代に入った。

 

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通信技術はこの50年間に生活環境を大きく変えてきた。これまでの企業社会、ビジネス社会の進化から、個人の生活環境に大きく拘り、最早スマートフォンやタブレットとは切り離すことができないようになっている。こうした通信技術の進化によって産業革命が起こってきているのも事実である。A.トフラー「第三の波」の云うコンピュータ社会は特に最先端医療技術、先進医療には欠かせることができない。最近の新入社員はパソコン操作ができなく、ワードで報告書を作成したり、エクセルなどもできないらしく、スマートフォンや携帯メールの短文しか作成できないと聞いて、団塊世代のリタイヤ組は企業戦士として一生懸命ワードやエクセルを習い、若いやつに負けられなとの意気込みで操作を覚えたものです。先だって、同世代の知人から「この頃、携帯メールばかりでやり取りしているので、パソコンを久しぶりに開いたらメールが入っていたので連絡した。失礼しました。」との文言があり、これもPCからスマートフォンへの移動となっているようです。家のFAXの使用頻度も少なく、固定電話もほとんどなく、ましてやパソコンも開かないと来れば、もはや社会から隔絶されたような気分になってしまう。こうして文章作成したり、写真添付したり様々な操作が最先端を行っている訳ではなく、すでに社会の波から置いてけぼりを食っているようなものである。

 

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通信は進化していくし、止められるものでもない。こうした大きな要因は日本の人口減との因果関係にもなっていると思っている。コンピュータ社会が更に深化すればするほどに、絵を描いたり、文章作成したり、哲学的思考をしたり、創造力を活かしてみたりなどの人間の豊かさが減少していくのではないかと危惧することもある。将棋や囲碁の世界でもコンピュータとの対戦があったりで、話題提供にはなってもまだまだ情緒的な人間的なものへの追求とはいかないのではと思っている。

 

  スケッチ画・東川 敏夫(無断転載禁)

 



2016年10月14日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第182回 「鉄に命を吹き込んだ男 山田宗美」

<2016年10月5日(水)再掲載>

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

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 山田宗美 作 鉄打出兎置物

【加賀市美術館蔵】

◎<注> 上記写真は無断転載厳禁です

 

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「鉄に命を吹き込んだ男 山田宗美」

 

土曜日はNHK番組「プラタモリ」を見る。テレビを見るのは唯一この番組だけであるが、たまたま続いて見たのが「凄ワザ」と云う番組で、これを見てビックリ仰天した。一つはこんな土曜日のゴールデンタイムで加賀市美術館が紹介され、洞口学芸員が紹介したのは「山田宗美の鉄打出の名工」山田宗美の技術力の凄さでした。

 

「鉄に命を吹き込んだ男没後100年鉄打出の名工 山田宗美展」が9月4日まで加賀市美術館で開催されました。番組内容は最新の機械技術では及びもつかない鉄打出技法。また、新進作家が挑戦するウサギの耳の長さの表現力はとても及ばなかった。最新のテクノロジーや分析、X線映像での調査でも、その薄さは「奇跡」と云わしめたとのコメントが実によく表現されたと思って見ておりました。NHK番組の良さでもあります。

 

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         加賀市美術館 (同館ホームページより)

 

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館内写真提供/何れも加賀市美術館

 

山田宗美を加賀市美術館の資料から引用しますと、明治4年(1891年)大聖寺藩御用の甲冑師の家系に生まれた。本名長三郎。父、宗光に象嵌・鍛金を学び、明治24年(1891年)20歳の時、「鉄打出」を創案した。その技法は、だれの目にも奇跡としか映らなかったと云います。

明治29年(1896年)日本美術展覧会、明治33年(1900年)パリ万国博覧会、明治39年(1906年)セントルイス万国博覧会等、国内外の展覧会に出品、受賞を高めていきました。大正5年(1916年)当時の芸術家にとっての最高の名誉である帝室技芸員に内定しながら、その発表を前に44歳の若さで世を去りました。

 

山田宗美は加賀市の生まれ、世界的な技術の鉄打出の天才芸術家として紹介されました。

 

こんな凄い人がいたことを知らずにいたことの恥ずかしさもありますが、NHK総合での番組の反響は大きかったのではないでしょうか。一枚の鉄板を打出技法で創作していくことの凄さ、頭の中に描かれている設計図に、まさに創造力と構想力の結集を謂わば「魂」を吹き込んでいく作業は天才だけにしかできないのではと思います。更にこうした技法も又その能力も祖先から受け継いだ遺伝子のなせることだと思っています。

 

とはいえ、技法と能力とDNAだけでは超えていくことのできない壁を打ち破る事が出来るには、苦心惨澹の失敗と努力と工夫そして気力があってこそ見いだせる光明ではないかと思っています。素人的発想ではありますが。

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故郷、加賀市の出身の皆さん、帰郷した時は加賀市美術館に是非行って下さい。また、観光で訪れる計画のある方は、ぜひとも加賀市美術館にお立ち寄りください。加賀市は歴史と芸術、文化と白山と柴山潟は絶景で、見どころ満載の名所です。

 

2016年9月29日

NPO法人 I Love加賀ネット

事務局長  東川 敏夫

 

第181回 自分の身は自分で守れるか

自然環境の保全を図る活動 I  Love加賀ネット<当会定款より>

 

 

自分の身は自分で守れるか

 

七十二候は草露白。 二十四節気は白露(朝晩が冷え始め、草花に露がつきやすくなる。) 陰陽五行では白は秋の色とされている。

 

上島鬼貫(独りごと)で 秋の自然と風物をこうとらえている。

秋立朝は山のすがた、雲のたたずまひ、木草にわたる風の景色もきのふには似ず、心よりおもひなせるにはあらでをのづから情の動くところなるべし

鬼貫句選  「なんで秋の来たとも見えず心から」

昨日までと異なった風景、風、雲、朝の山のすがた。心より思わせるおのずから情が動く と。

 

九州、北海道そして台風10号の影響も大きく、ゲリラ豪雨で一月分の雨量を短時間で上回る局地的豪雨である。今年も猛暑日が続いているが、いきなりの台風と豪雨での土砂災害など、洪水が氾濫しての想定外で、農業等に大きな被害を蒙っている。

 

9月1日は防災の日。そしてこの週は防災週間である。9月5日関西圏では特に大阪は「大阪880万人防災訓練」として、午前11時03分に東南海トラスト津波訓練の一斉メールが入ってきました。前後して各府下の市の危機管理室からのメールが入り、この日は訓練とはいえ防災の日として緊張して毎年臨んでいる。

 

筆者が住むマンションは管理組合の防災意識が非常に高く、防災に対しての訓練や住民の意識付け、実践など防災委員会を設置して相当高いレベルで取り組んでいると自負している。結局、自助努力でどこまでやれるかである。

今年の防災展や行政の方向などを考えると、先ず避難所ありきのような感じがしてならない。避難所については少し後のことだと思っているのだが。先ず災害が起きたらどうすべきかを身を以て訓練しておかなければならない。住環境や様々な要素、要因が異なるので一括りにはできないと思われるので、現在の住まいの状況下でどうするかを皆で考える必要があると思っている。

 

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災害は昼夜とはず襲ってくるので、夜間にも備えた対策を考えたり、様々な意見を集約してまとめ上げておく必要がある。自治組織もまたマンション管理組合にも少子高齢化が現実となり、問題は山積みではないでしょうか。人口減少と防災の取り組み方は相当大変ではないだろうか。

 

地域の自主防災組織を行政は推進しているが、一方で人口減と自治会組織への参加が減少し、寧ろ維持することが大変なことになっている。

 

東京一極集中が更に進み、地方創生は中々難しいと思っている。そう考えると、筆者が居住するマンションの防災に対する意識の高さは寧ろ感動ものではないかと思っている。

 

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■写真…LEDペンライト
防災訓練で室内で点灯することで無事を知らせる。
熊本地震など夜間での救援に対しこうした点灯で
知らせたり、笛も付いているので笛を吹くことで
所在を知らせることが可能なすぐれものだと思い
ます。筆者の住むマンション全戸に配布されてい
ます。

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2016年9月7日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

(石川県加賀市出身)

 

第180回 残暑お見舞い申し上げます。

 

自然環境の保全を図る活動 I  Love加賀ネット<当会定款より>

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

残暑お見舞い申し上げます。

 

この暑さの中にも、夕暮れから夜間に、少しづつ涼しい風を感じるときがあります。二十四節気では立秋。七十二候「涼風至」この涼しさに秋の気配が感じられる。夕刻から雨が降ってくれるとヒートアップ現象も和らぐのだが、長期予報では高温の日が続くと云われている。

 

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深夜に、時折虫の音が聞こえ、百日紅の花がようやく終わろうとしている。入れ替わるように、まだ小さい毬栗がまさにこれから大きくなろうと待ち構えている。冬場に黒ずんで落ちた柘榴の実もまだまだ小ぶりではあるが、赤く染まり始めている。果実は秋に向けて準備している。

日本の自然は繰り返し訪れる。水や風や鳥や昆虫や、花鳥諷詠の中に四季の色彩を日本人が感じている。鈴虫がリンリンと啼きはじめている。音にも秋への静寂さと優しい音色で表現してくる。お盆の頃、兄弟が蚊帳の中で雑魚寝しながら扇風機も、ましてやクーラーのない時代の子供時代の風情を思い出す。その頃は海水浴も海月が出て駄目になり、子供のころに見た、日本海に沈んでいく大きな夕陽が今でも焼き付いている。

 

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麻生磯次著 「芭蕉物語(中)」より抜粋

奥の細道 六月十四日(陽暦7月31日)

涼しさや 海に入れたる 最上川    芭蕉

安種亭は安種が崎の別荘に寺島彦助に招待され、そこで俳諧が催された。安種亭に招かれて袖の浦を見渡していると、昼の暑さを吹き払うように、最上川が海に流れ込んでいる。何と云う涼しさであろうというのである。この句は後に次のように改められた。

 

暑き日を 海に入れたる 最上川    芭蕉

「暑き日を」と変えたのである。「暑き日」には「暑い太陽」「暑い一日」の意味が含められている。海に太陽が没するような地勢になっている。海に陽が没する有様が、あたかも最上川が太陽を海に押し込めたように感じられる。芭蕉はそういう感じを持ったのである。

曾良は日記に「暑甚し」と書いたが、この日は酷い暑さであった。芭蕉たちは寺島彦助の別荘でくつろいでいる間に生きかえった気持ちになった。暑い一日も漸く終わった、とおもったのである。

芭蕉が倶梨伽羅峠を越えて、金沢に着いたのは七月十五日(陽暦8月29日)

 

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芭蕉が「暑い一日」を「最上川が太陽を海に押し込めてしまう」こんな表現や発想は凡人の筆者には浮かぶはずもない。「五・七・五」十七文字の詩の創造力は、削ぎ落として、更に推敲して出来上がる。創句することも大変だが、心の奥底を詠みきることもまた大変な作業でもある。                           ◆はがき絵  / 東川 敏夫画<無断使用不可>

 

 

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日本海の夕陽(加賀市橋立港】*写 真提供 / 山崎 英樹さん

 

 

2016年8月19日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

第179回 ミューヘン―サッポロ―ミルウォーキー」CMソング

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

 

ミュヘン、サッポロ、ミルウォーキーのCMは札幌ビールのCM。1958年(昭和33年)

 

【作詞、作曲 山本直純 歌ボニージャックス】

昭和文化、テレビ文化の黎明期のCMで実に懐かしいCMです。

独国ミュヘン=札幌 米国ウィスコンシン州ミルウォーキーが同緯度に位置し、ビール消費の盛んな町であることを印象づけたCMの傑作だと思っている。レナウン「わんさか娘」(レナウン、レナウン、、、レナウン娘とわんさかわんさか、)小林亜星作曲 弘田三枝子の歌唱を口ずさむことができる。ザ・ピーナツの歌唱の「レナウンの唄」もあった。 「山は富士酒は白雪」「黄桜」などの日本酒のCMも大変多かった。当時からサントリーはやはりCM力は凄いものがあったと思っています。山口 瞳、開高 健、柳原良平などサントリー文化を支えた傑出を人物が集まっていたと思います。イラストレーターやコピーライターなど職業としてのクリエイティブな世界への光をあてた人たちと云っていいだろうと思う。こうした昭和の高度成長と共に、芸術・文化の高揚は昭和元禄と云われるように醸成されていったのが昭和50年代~60年代にかけてではないだろうか。

 

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NHK「夢で逢いましょう」永 六輔、中村八大、坂本九の「上を向いて歩こう」や 日テレ系「11PM」大橋巨泉、藤本義一の司会に代表される云わばテレビ界を通して文化を投げかけ、熟成させそして経済成長の原動力になったと云っても過言ではない。

月刊宣伝会議、ブレーン等を愛読した時期もあった。今思えば実に昭和の匂いが感じられる場面が甦ってきます。

と同時に、市井の実に個性的な人物がというよりも、筆者の知る個性的な人物が本年残念ながらご逝去されました。昭和を知る人たちがそして文化や芸術を支えてきた人たちが少なくなっていくことが残念でもあります。

 

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「ミューヘン―サッポロ―ミルウォーキー」と題した流れが 「ロンドン―ミューヘン―札幌―東京―ワシントン」になる平成の最終章になろうとしている。

英国テリーザ・メイ首相―独国アンゲラ・メンケル首相-札幌は高橋はるみ北海道知事―東京、小池百合子東京都知事―米国は、ヒラリー・クリントンがおそらく大統領になると思うが。(トランプ氏のメはないのか)それにわすれていました韓国朴槿恵大統領もラインに入ると思いますが。

 

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平成の最終章となるであろう世界の主要国のトップは女性が占めることになる。(日本現在は安倍首相であるが)北緯43度、48度の主要国の今後に期待したいと思うのだが、

 

「わんさか娘」のようにイエイ!イエイ!と云えるかどうか・・・。

◯はがき絵 東川 敏夫画

 

 

2016年8月12日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫

 

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