第105回 「書聖 王羲之」

学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動

 

 

中国の書家・王羲之(おうぎし)の書の精巧な写が日本国内で2013年1月8日に発見されたと北京日報が伝えた。「大報帖(たいほうじょう)」と命名された。NHKニュースを始め全国メディアが伝えた。

 

■NHKニュースから引用する

日本の書道史に奈良時代から影響を与え続けている、四世紀の中国の書家、王羲之の筆使いを伝える新たな資料が日本で見つかった。王羲之の資料は国宝に指定されているものもあり、「遣唐使が唐から持ち帰ったとみられる極めて貴重な資料だ」

 

王羲之は四世紀の中国、東晋の書家です。書を芸術に高めたとして「書聖」と称され、現代でも学校の教科書で書道の手本とされるなど大きな影響を与え続けています。

このうち、今から1400年近く前に、唐代に皇帝命令で高度な手法で精巧に模写されたものは、王羲之の筆使いを史実に伝える資料として高い価値があるとされている。

 

40年前の昭和48年に「妹至帖(まいしじょう)」と名づけられた手紙の一部が日本で見つかっていて、今回はそれ以来のことです。「縦簾紙(じゅうれんし)」と呼ばれる唐代に見られる特殊な紙も用いられている。(抜粋)

 

■唐の太宗 李世民

高祖李淵の次男で唐王朝の基礎を固める善政「貞観の治」を行い、中国史上最高の名君の一人と言われている。Gayo無料動画で「貞観の治」を放映しており、「王羲之の書」をこよなく愛し、精巧な複製を作らせて手本として広めようとした。(小説 陳舜臣『十八史略』にも「貞観の治」は取り上げられている)

 

能筆家としても知られた太宗は、王羲之の真筆に異常なまでの執心ぶりを見せた。

王羲之の書 真筆「蘭亭序」を片時もはなさなかったという太宗帝が崩御すると帝の副葬品として埋葬されてしまった。これによって王羲之の真筆は皆無となった。行書体の代表的な作品「快雪時晴帖」「蘭亭序」がある。

 

台北 国立故宮博物院 王羲之「蘭亭序」真蹟(原本)ではなく、石刻からの拓本がある。

王羲之の真蹟に最も近いとされる欧陽詢の模写が石刻され、それが拓本にされた。

 

台北 国立故宮博物院にはこれまで三度ほど訪れている。門外漢の筆者でも歴史的背景を知れば知るほど感動する。

    

2014年に東京と九州で故宮博物院日本展が開催される予定になっている。

 

■遣唐使

遣唐使が日本に与えた影響は大きく、謂わば先進国中国の経済、歴史、文化、書、芸術、建築、仏教そして生活に至るまで日本文化に浸透していった。

 

阿倍仲麻呂(唐名 晁衡)と鑑真和上のことはよくご存知と思いますが、阿倍仲麻呂(晁衡)は唐の太學で科挙に合格し、玄宗皇帝に寵愛された。同期留学生には吉備真備がいた。

阿倍仲麻呂が35年以上唐の中心部にいた仲麻呂にとって、唯ただ、ひたすら国に帰りたかったと望郷の念をもつのは当然である。

 

■阿倍仲麻呂の望郷の歌

    あまのはら ふりさけみれば春日なる

    三笠の山に出し月かも

 

鑑真和上の五度に及ぶ渡航失敗と更なる挑戦で来日。奈良に唐招提寺を建立する。

阿倍仲麻呂の帰国は四艘のうち第一船に大使藤原清河らと乗り、鑑真和上は大伴古麻呂の第二船に密かに乗った。四艘の帰国遣唐使船で第一船は、沖縄まで来て、奄美のあたりで暴風雨に見舞われ、漂流して北ベトナムまで流されてしまう。遭難は長安に伝わり転覆全員死亡したものと思われた。

 

■阿倍仲麻呂と交流の深かった李白は「晁卿衡を哭す」の挽歌をつくった。

      日本の晁(ちょう)卿(きょう) 帝都を辞し

           征帆一片 蓬(ほう)壺(こ)を繞(めぐる)る

           明月帰らず 碧海に沈み

          白雲愁色 蒼梧(そうご)に満つ

 

阿倍仲麻呂は大使藤原清河と苦しい旅を続けながら長安までたどり着いたが、遣唐使船はその後二十五年もの間派遣されることはなかった。この二人は望郷の念を抱きながらも、ついに日本の土を踏むことはかなわなかった。

 

■長谷川 櫂著「海の細道」で鑑真和上にふれている。そして、

  「初花の咲や奈良へと船の道」 長谷川 櫂

 

司馬遼太郎「空海の風景」弘法太師空海(私費留学・遣唐使)も司馬遼太郎の傑作ではないだろうかと思っている。空海と最澄。空海は高野山、最澄は比叡山。歴史は脈々と続いていく。

阿倍仲麻呂碑(中国・西安)

2000.10.10撮影<転載はご遠慮ください>

 

     魏・呉・蜀の時代から隋、唐時代1400年前も、今の日中関係、日韓関係は歴史を重ね

     ながらアジアの安定と秩序を保ってきた。友好な外交や国家の安全を願わずにはいら

   れな い。

 

 

 *               *               *

 

 

田島方外 懶

 

 

(加賀市美術館蔵)

 

           ◎田島方外先生のこと…筆者の中学校時代の書道の先生。

             当【事務局コラム】第61回 「加賀の書家・田島方外」ページ

             2012年6月12日掲載をご覧ください。

 

 

2013年1月18日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫