第166回 手塚治虫記念館と福井市美術館の「手塚治虫展」

 学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款より>

 

7月末の夏休み早々に孫と手塚治虫記念館(1994年宝塚市立手塚治虫記念館として開館)に行ってきた。

 

手塚治虫記念館 http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/

福井市美術館  http://www.art.museum.city.fukui.fukui.jp/calendar.html

(展示写真、絵画等、著作権にかかわりますので上記ホームページからご覧ください)

 

手塚治虫館     DSC_0105   手塚治虫記念館 (筆者撮影)

 

手塚治虫氏は1928年(昭和3年)大阪豊中生まれ、宝塚市名誉市民。医学博士、当然ながら戦後の漫画界をリードしてきた天才漫画家である。周知の通りである。

手塚治虫記念館は阪急宝塚駅から宝塚大劇場を通り、国道176号線沿い8分にあり、宝塚ホテル宝塚南口から橋を渡り5分程のところにあります。手塚治虫氏については説明することもない。とはいえ平成元年に亡くなられてから既に27年であり、小学生の孫に「手塚治虫を知ってるか」と聞いてみたが、どんな漫画を書いて、どんなアニメ制作したのかわからなかった。これもやむを得ないことではないかと思う。

 

小学3年の孫が知っていたのは、西武ライオンズマスコットキャラクター ジャングル大帝「レオ」である。

「手塚治虫展」が福井市美術館で開催(9月6日まで)されている。夏休みも終わりに近づいているが、是非お孫さんを連れて企画展を鑑賞されたらいかがでしょうか。

「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」「火の鳥」「ブッダ」「ブラックジャック」

まるまる昭和の時代をリードし、昭和を駆け抜けていったようです。

 

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I Love加賀ネット当コラムで(第151回謡曲「実盛」)、昨年「実盛」の手塚太郎光盛が手塚治虫氏の祖先であると、そしてその名は現在も加賀市手塚町として残っていると紹介しました。

「火の鳥」の中で、手塚太郎光盛の顔を自らの似顔絵を入れているくらいである。また、

長男真氏もそのように講演で言われておりました。

 

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 写真上/実盛塚(石川県加賀市篠原新町)

写真下/首洗池(石川県加賀市手塚町)

実盛<コラム>コピー (2)

 

手塚治虫氏の作品テーマ

「唯一つ、これだけは断じて殺されても翻せない主義がある。それは、戦争はご免だということだ。だから、反戦テーマだけは書き続けたい」自らの戦争体験によってもたらされた「生命の尊厳」を自身のテーマとして挙げている。

いまの、安保法案を手塚治虫はどうとらえるだろうか。

 

手塚治虫記念館と福井市美術館とのコラボレーション。館の運営管理を推進していく中で

それぞれの所蔵する作品や構成面ではやはり限界があるのではないでしょうか。相好の良いものを提案しながら集客に取り組んでいかないと、集客数は決して増加していかない。

宝塚市から福井へ(地方再生への手がかり)福井市はまるまる昭和の世代を手塚治虫記念館で取り込める。そうしたメリットを考えながら取り組んでいかないと、従来の枠にとらわれて、拘っているとなかなか脱出できないことになるのではないか。

 

集客のための努力とは、楽しく、面白く、わくわくすることがなければリピートはおぼつかない。足を運ぶために、期待感に応えるために、従来にこだわらないことが大事な要素ではないだろうか。

 

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*北陸自動車道をおり、片山津温泉方向に新堀川を渡ると篠原である。新堀川沿いの対岸が手塚町。そして源平橋を渡ると首洗池があり、源平町がある。歴史の由緒ある地名を護り、文化を護ることが重要なことである。800年以前の合戦を芭蕉が500年前に、それから300年以上の歳月が流れ、すぐ側に雪博士・中谷宇吉郎「雪の科学館」があるが、生誕100年であり、歴史は悉く走り去っていく。現在の手塚町は[19世帯(36人)平成17年1月調べ]後代、手塚光盛の末裔を称する人に、江戸時代後期の蘭学者・手塚良仙、そして昭和の漫画家・手塚治虫氏などがいる。手塚治虫「火の鳥」手塚太郎光盛を自画像と似せて登場している。

当コラムNO102、NO148、NO151で

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2015年8月28日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫