第18回 篠原の合戦

「柴山潟〝桜〟周回廊計画」

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 1月8日(日)NHK大河ドラマ「平 清盛」がスタート

 

「むざんやな 兜の下の きりぎりす」芭蕉

 

北陸自動車道の片山津I.Cを降り、片山津温泉に向かって進みむと右側に 「源平橋」が見えます。この橋を右節折したところに「首洗池」があります。その一帯は源平合戦の場所であり篠原の合戦と呼ばれる地です。

 

首洗いの池 

 

   

松尾芭蕉は奥の細道で「むざんやな 兜の下の きりぎりす」と詠んでいます。

源頼朝、木曽義仲の源氏勢力は平家を追撃して富山県と石川県境、倶梨伽羅峠を越え、そして篠原の合戦更に一の谷、屋島で敗北。長門の壇ノ浦で平家は滅亡。

源義経はその後、頼朝追討を受け皮肉にもその北陸道を北上し、奥州平泉に逃亡する北陸の地安宅の関(現在の小松市、首洗池と隣接する地)で、安宅の関守富樫左右衛門泰家と義経、弁慶の勧進帳はあまりに有名。1183年のことです。

 

 

 

<撮影 I Love加賀ネット>

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平 清盛の福原遷都

 

その3年前1180年6月、栄華を誇る、平 清盛の強い意向で、現在の神戸市兵庫区平野の地に天皇・上皇以下が大挙して訪れ、都造りが計画されますが、途中から反平氏勢力の挙兵が始まり、遷都反対も根強く未完に終わり、約170日後に京都に帰還します。

 

このことを福原遷都と呼んでいます。

 

平 清盛の福原遷都構想は、その南2.5キロの所に古代以来の重要な港湾・大輪田泊があり、この地を足場に中国(宋の時代)との貿易推進の陣頭指揮をとろうとしていました。国際貿易港大輪田泊の国家力による改修「海の都」建設のインフラ整備が真の目的であったといわれています。

 

神戸市兵庫区南部・長田一帯で福原遷都の歴史が息づいているのが神戸港です。

        神戸市兵庫区福原では毎年6月に「福原遷都まつり」を開催しています。

                     

                                                                                                                   

2012年1月10日

NPO法人 I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫