第67回 蕪村の眠る「金福寺」

つなげる――「柴山潟桜周回廊プロジェクト」―― つながる

 

 

           比叡山電鉄出町柳駅から一乗寺で降り、登り道を20分ほど

           ゆっくりとかけながら詩仙堂に向かった。 

 

修学旅行シーズンも終わり、京都は一段落の観光客でこのシーズンがゆっくりと散策できる機会でもある。「金福寺」での観光客はおらず、金糸梅が咲き、木々の深さと緑風を感じながら静かに「与謝蕪村之墓」にお参りすることが出来ました。

 

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 詩仙堂の200mほど手前を右折すれば「金福寺」である。

 

 

  

           与謝蕪村之墓                        金糸梅

            

                                            

日本経済新聞日曜版6月10日、17日、24日、7月1日付けで 【美の美 特集】4回に分けて「与謝蕪村―無限のポエジー」見開き特集記事が掲載されました。文・宮川匡司、日本経済新聞編集委員が書かれた記事でした。

 

 

「与謝蕪村―無限のポエジー」

 

6月10日小見出しは

【花茨故郷の路に似たるかな―。画家にして俳人の与謝蕪村(1716~83)は望郷の詩人だった。しかし蕪村の望郷の念は、今も多くの謎に包まれている。蕪村の魂のふるさととは、何だったのだろうか。】

6月17日は、【蕪村は晩成の芸術家だった。】

6月24日は、【蕪村は先人の松尾芭蕉を敬愛していた。しかし旅に明け暮れた芭蕉の風雅をただ模倣することを潔しよしとしなかった。】

7月1日は、【中国の山水画から多くを学びながら、蕪村は晩年、独自の円熟した画境に至った。俳諧の精神が息づく情感あふれるその絵は、京の一庶民として生きた蕪村の生活体験と切り離せない。】

                                                                           

   

耳目肺腸ここに玉まく芭蕉庵  蕪村

                                                     

                                                                                               

 

芭蕉庵
 

         

         芭蕉の碑

 右・蕪村   花守は野安に劣る今日の月

左・百池 西と見て日は入りにけり春の海

 

 

       蕪村の俳画を掲載されていますが、お見せできないのが残念でもあります。

 

日本経済新聞編集委員・宮川匡司氏は、蕪村を良く研究され、俳画をもまた理解されておりますし、与謝蕪村を敬愛する市井の俳句愛好者にとっては得難い資料になります。

 蕪村 没後220年(平成15年)逸翁美術館(池田市)・柿衛文庫(伊丹市)が編纂した美術本は並びに展覧会に出品された作品の何点かを新聞掲載されております。

 

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池田市・逸翁美術館「没後220年 蕪村」展を見ることが出来ました。

 

天明三年師走二十五日未明、臨終吟三句を遺し、六十八歳をもって他界した。

 

「冬鶯むかし王維が垣根かな」

  「うぐいすや何ごそつかす薮の霜」

    「白梅の明くる夜ばかりとなりにけり」

 

比叡山の麓、自ら再興した芭蕉庵のある金福寺にねむる。その場所もまた、この雪景色の中に溶け込んでいるようだ。(「屋根ひくき宿うれしさよ冬籠」)宮川匡司記者は結んでいる。

金福寺のご住職と少し話をさせてもらいました。「秋の紅葉の時が素晴らしいですよ。是非おいで下さい」と。冬の雪籠もりの時にも来てみたいと思わずにはいられませんでした。

 

   でも、筆者は宮川記者同様に、厳しい冬の雪籠もりの時にも来てみたいと

   思わずにはいられませんでした。

【写真】金福寺にて筆者撮影 2012.06.27

 

 

 

2012年7月3日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫