第72回 沈みゆく日本海

 

 

浸食が著しい羽咋市の千里浜海岸。千里浜の浸食スピードは年に1メートルとされている。

 

 

■千里浜のちびっこ駅伝中止 浸食で砂浜狭く (共に北國新聞記事より)

羽咋市から宝達志水町にかけての千里浜なぎさドライブウェイで開かれる予定だった千里浜ちびっこ駅伝は、波が走路まで押し寄せたため中止となった。大会実行委員長は「ちょっと海が荒れただけで通行が制限されるほど砂浜は狭くなっている」と中止を残念がっていた。  

 

 

片野海水浴場(2012年3月/筆者撮影)

 

 

加賀市橋立海水浴場、片野海水浴場から越前松島、東尋坊向かう中間に、波松という地域があります。小学生の頃、兄達は中学生の頃(昭和30年代)、墓参りに両親の故郷、福井県・波松に毎年行きました。大聖寺川を挟み、吉崎と石川県と福井県の県境になる。現在のあわら市である。北潟までバスで行き一山を歩いて越えるか、芦原温泉からバスで行く。

 

バスから見ると、そこに日本海が窓越し一杯に広がって見えた。

 

叔父の家から、すぐそこに海岸に降りていく細い道があり、砂浜まで行くと浜昼顔が咲いていた。葉は固く、根は強く張っていた。朝顔のように優しくはないが、夏の日差しに負けない小さくても力強さを感じていた。

砂浜は100メートル位あったように思う。「熱ちぃ、ちぃ」と言いながら海辺まで走ったものです。海水浴場などではありませんから、長い砂浜と大きな日本海と強い日差し。そして誰もいない海辺での海水浴でした。2,3㍍も沖に進むと一気に深くなり、ゆっくりと大きな波が繰り返しやってきます。叔父さんと兄達は舟で沖合に行き網で魚を獲ったりしていましたが、小学生では手を煩わせるばかりで、舟に乗せる資格がなかったようです。羨ましく思っていました。

 

 

 

                   ハイビスカス

 

 

   曽根廣雄著『大自然の懐に抱かれて』 P131―泳げなかった友―

 

書かれている橋立海水浴場のことや、小学生、中学生の頃の海や山との接し方、夏休みの過ごし方は全く同じで、自然に子供たちが体験として身につけていったものです。こうした思い出を共有できる世代はいつの頃までなのでしょうか。セピア色の懐かしい想い出であります。

 

               「かぶと虫 帽子に入れて 走る子らは」 (敏)

               「駄菓子屋へ 孫と揃いの 夏帽子」 (敏)

 

 

伊丹・昆虫館(カブトムシ標本)

 

 

変わりゆく自然

昭和50年から60年代にかけて訪れた時には、既に砂浜が狭くなって見た目に半分位になっていた記憶があります。その後訪れてはいないのでわかりませんが、砂浜はおそらくもっと浸食されているかもしれません。子供のころに感じたことと、大人の目の感じ方は違いがあるとはいえ、千里浜の浸食スピードが1年で1メートルとするなら、同じ日本海ですから、50メートルは短くなっていても不思議ではありません。自然の変化がもたらす恐怖はこの辺りにもあるように思います。地形をも変えてしまう海の力。そう考えると東北大震災の津波は如何に凄まじかったかと。

 

人間と自然が共生していくにはどうすればいいのか、またどう対応していけば自然が守れるのかは永遠の課題なのかもしれません。日の出とともに蝉の鳴き声が一斉に聞こえてくるはずなのに、今年は寂しく鳴いている。大雨とともに流されて、蝉の激減状態なのかもしれない。

 

「天と地に鎮魂を問う蝉の声」 (敏)

 

 

2012年7月20日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫