第83回 「隠元禅師・黄檗山萬福寺」続き(2)

  学術、文化、芸術、またはスポーツの振興を図る活動<定款>

 

 

「隠元禅師と上方落語」

 

1654年中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年(寛文元年)開創された黄檗宗の大本山です。

隠元禅師は、伽藍建築・文化、美術、印刷、煎茶、普茶料理、隠元豆、西瓜、蓮根、孟竹(タケノコ)・木魚など当時の江戸時代の文化に大きな影響をもたらしました。

隠元禅師が江戸文化のみならず、今日においても日常の生活の中に溶け込んでいることが数多くあることに気がつきます。文化や美術、印刷に煎茶など一つ一つが形成されて行く過程に歴史の面白さや重みがあります。(前回述べました。)

 

「山門を出れば日本ぞ茶摘み唄」 菊舎尼

 

菊舎尼は江戸後期の女流俳人で、寛政二年(1790年)宇治・萬福寺を訪れた時の俳句です。

 

           

 

山門は三門が正しい「三解脱門」を意味する門であるから。(五木寛之著「百寺巡礼」第九巻 京都Ⅱ 萬福寺より)

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」第九巻 京都Ⅱ 萬福寺

 

茶所・宇治に立つ“中国の寺”中国式煎茶文化も隠元禅師が伝えたものだと云われている。

現在、宇治が美味しい御茶の産地として有名なのも、中国から伝来したそうした禅宗の文化が背景にあるのかもしれない。(中略)

最初に目に入ったのは朱塗りの総門である。「第一義」という額がかかり、屋根の一番上には左右に二体、想像上の動物だという摩伽羅が見える。魚類のようであるが、脚で体を支える不思議な動物だ。この門を見た瞬間に、これは日本の寺ではない、と思わずにはいられない。

 

                       

「総門」屋根の一番上左右二体「摩伽羅」                    「第一義」

 

「隠元が日本に与えたカルチャーショック」と五木寛之さんは書かれています。

 上述のように、隠元禅師は隠元豆、普茶料理、煎茶、孟宗竹など様々なものが、禅師とともに渡来した。この稿では黄檗山萬福寺の入り口部分にしか入っていないが、それだけで当時の日本に大きな影響を与えたことのであろうと推察することができます。

 

 

「隠元禅師と上方落語」が今回のテーマであります。

 

上方落語は、江戸時代中期に、京都の初代露の五郎兵衛や大阪の初代米沢彦八が道端に舞台を設け、自作の噺を披露して銭を稼いだ「辻咄」や「軽口」が落語の起源となったと云われている。

神社の境内など屋外で活動を続けていた上方落語、やがて当時の文化人が中心となって座敷で一般から新作の小噺を募集して披露する素人噺の会が流行しました。安永元年(1774年)から天明末年(1789年)多くの小噺本が発行されました。その後、寛政六年(1794年)初代桂文治が登場します。桂文治は大阪の坐摩神社の境内に小屋を立て、そこで連日落語を演じるようになります。それが大阪の寄席の始まりと云われています。(落語作家・小佐田定雄より)

「落語」の始まりは文化・文政年代(1808年~)、元和・寛永年代(1616年~)に始まった「小噺」は、遡ること150年前であり、落語の基礎になったと考えられる。では、隠元禅師と上方落語の関係を述べなくてはならない。中国笑話が日本笑話に与えた影響として

京都・鎌倉五山僧徒は中国に渡航することが頻繁であったことからもその間に中国笑話が輸入されたことは間違いないところである。

 

 

中国笑話と日本笑話

 

中国笑話(漢文笑話)は京都・大阪を中心に流行した。儒者 岡 白駒(おかはっく1692~1767年)等の白話文学者の堪能な小説家によって開拓されていった。中国笑話の翻訳が日本笑話へ移行していく。「戯言養気集」「昨日は今日の物語」「醒睡笑」は慶長、元和の頃である。「竹取物語」「宇治拾遺物語」に収まられた説話などの関連が源流と思われる。 (「中国人の笑いと文学」筆者卒論より)

京都で露の五郎兵衛が四条河原町で活躍し始め、後水尾上皇の皇女の御前で落語を演じたこともあったという。大阪では米沢彦八で、「寿限無」の基となる話を作ったのが初代米沢彦八であると云われている。こうした流れは「江戸小噺」「江戸落語」に発展して行くのは当然のことであった。

隠元禅師が渡来した折に、中国文化(書籍、書画、陶器等)を輸入した。謂わば当時の最先端ブランドと言っていいものであり、そうした中に小噺の原形となる中国笑話もあったことは推察出来ると思っています。印刷(一切経「鉄眼禅師の版木」の稿で述べる)など

日本の印刷技術を飛躍的なものにしたことを考えれば、当然のように思われる。

 

昭和の戦後、上方落語の復興に尽力されたのは桂米朝師匠であります。そして、米朝師匠は筆者の大学の大先輩でもあります。

 

      

    隠元禅師が伝えた「隠元豆」               孟宗竹(タケノコ)

 

          

                            

 

 

 

2012年9月7日

NPO法人  I  Love加賀ネット

事務局長 東川 敏夫