第95回 片山津の想い出 その4

 

 

 これまで書きとめた片山津の想い出(1)、(2)、(3)では、主に春、夏、秋の情景を

 描写してきました。今回は「思い出」の最終回として、冬にちなんだことを書きつづっ

 てみます。

 

 

     藤井 忠邦

 

厳しかった冬

北陸を含めた北国の冬は、地球温暖化によって暖冬気味の今日でも厳しい季節に違いなのですが、半世紀前までは平地でさえ途方もない大雪にみまわれて、人や車の往き来がままならない時期がずいぶんとあったように思います。

当時は、今のような融雪装置や除雪車がない時代ですから、すべて人力での除雪に頼るしかありませんでした。雪が降れば、どの家も一家総出で雪かきをしたものです。小学生でも高学年になればスコップを握るのは当たり前でした。

 

ある年の大晦日の夜のことを思い出します。

 

夕方から降り始めた雪が夜には激しさをまして、一年のアカを落としに片山津温泉の総湯に出かける頃には、「これは大変だな」と思わせる降り方でした。

小一時間ほどで総湯を出て家に戻るのですが、自身の股に、積もった雪のかさがつかえて思うように前へ進めないのです。やっとの思いで帰宅してから、「これは恐ろしいことになるな」と感じたものです。

 

 昭和31年 (1956) 1月撮影<温泉内の民家の玄関>

 

案の定、翌朝起きてみると、窓や玄関のガラス越に雪の山がそびえているではありませんか。もともと根雪があったのでしょうが、その上に新雪が降り重なり、2m近くの高さに達していたようです。玄関の出入りができない状態ですから、元旦から除雪に汗を流したのは言うまでもありません。

我が家は平屋で二階がなかったのですが、温泉の町中では除雪しようにも雪捨て場がなく、しばらくの間、二階から出入りしていた家もあったようです。道路は人の往来で踏み固められ、さらに降り続く雪でかさ上げされて、二階を歩いているようでした。そのため、垂れ下がった電線に手が届くほどで、感電に注意するように言われた記憶があります。

 

三八豪雪

過去に経験した何回かの大雪の中でも最大といえるのは、やはり昭和38年の三八豪雪です。その前年の昭和37年9月、私は大阪の親戚が経営する金属加工会社に6か月間の住込みの見習い職工として引き受けてもらいました。昭和38年4月からの就職にそなえて、少しでも実社会の経験を積んでおきたかったからです。

訓練先の大阪では晴天が続いているのに、北陸方面では37年12月下旬から冬型の気圧配置となり、断続的に降り続けていた雪は1月に入ると激しくなり、中旬以降北陸本線も全面運休に陥るなど混乱を極めました。

大阪と結ぶ長距離列車が復旧したのは2月になってからでした。その間、緊急事態で何かしようにも大阪から戻るすべがなく、ひたすら列車の開通を待つのみでした。

 

片山津に母を残したままでしたが、屋根雪おろしや除雪など、近所の方や親戚の皆さんに大変お世話になりました。昔のこととはいえ、皆様にあらためて感謝の気持ちを表したいと思います。

 

ネズミの「チュウタロウ一家」とネコの「タマ」

 

   

 

イエネズミ(家鼠)は、今ではほとんど見かけなくなりましたが、私が子供のころは、どこの家でもよく見かけたものです。我が家では、天井裏、押し入れを棲み家としながら、土壁の穴から内と外を自由に出入りしていました。ネズミの子育ては最も安全な天井裏でしたから、仮称「チュウタロウ一家」の走り回る騒音に常に悩まされたものです。我が家は隙間だらけの家でしたから、ネズミを追って、シマヘビや青大将が家に入ってきたこともありました。

 

ネズミ退治にネズミ取り器をかれらの通り道に仕掛けて一定の効果はあったのですが、何しろねずみ算式に増えていくものですから、一向にラチがあきません。それならと、母の決断でネコを飼うことになりました。当時ですから食いぶちが増える悩ましさもあったでしょうが、背に腹は代えられないくらいの「騒音」と「破壊活動」には我慢がならなかったのでしょう。

 

   

 

ネコの「タマ?」がネズミ対策にどれほどの効果があったのか、定かな記憶がありませんが、我々兄弟にとっては「動き回るおもちゃ」としての楽しみがあったようです。

冬になると、「タマ」はいつも堀コタツにもぐり込んできたものです。

あるとき、コタツの豆練炭が十分に赤くなっていないことがあり、そこにもぐっていた「タマ」は一酸化炭素中毒で死んでしまいました。子供がもぐっていれば、あわや事故にもなりかねず、タマが我々兄弟の命を救ってくれたとも言えます。身代わりとなった「タマ」の命が我々兄弟に今引き継がれているのかもしれません。

                       

最後に、「チュウタロウ一家」が「タマ」を手玉に取った話を一つ。

 

  

                    

雪が降り始める12月も半ばを過ぎると、農家なら納屋にしまっておいた臼を土間に持ち出して、正月用の餅をつくのが慣わしでした。鏡餅、飾餅、雑煮餅のほかに、次の年の一年間に子供たちがおやつに困らないよう、かき餅もあわせて作ったものです。我が家でも、母親の里に頼んで餅を用意していました。その中には、かき餅もありました。太くて細長いつきたてのかき餅の原形は数日で硬くなり、厚さ3㎜前後になるよう切り餅にして、それを稲わら数本で編んでいくのです。10枚程度で一かさ(一嵩)として、4~50嵩を準備していたようでした。次に、乾燥のため、天井に取り付けた紐に竹竿を通して、二嵩を一対にしたものを竿に掛けていくのです。

 

天井裏からその様子を見ていたかどうかはわかりませんが、我々が床に就いたころから、「チュウタロウ一家」が騒ぎ始めるのです。わずか数センチの幅の鴨居の上を走り回って、かき餅をかじろうとしているのです。そのうち、ついに一匹が竹竿の上に乗っているではありませんか。人間とネズミの何回かの攻防の末、かき餅にかなりの損害がでてしまいました。「タマ」にとっては、地上戦ならともかく、空中戦となるとなすすべもなく、「チュウタロウ一家」に完全に手玉に取られたかっこうでした。木枯らしが吹き、餅を食べる頃になると思い出す片山津での冬の一コマです。

 

 

2012.11.10

 藤井 忠邦

(片山津温泉出身・白山市在住)